2011年2月7日月曜日

花見川上流紀行 21化灯場

天保の堀割普請では化灯(けとう)という軟弱な谷津堆積物が主に花島付近より下流に分布し、工事が難渋したことが有名です。
化灯は化土(けど、げど)とおなじもので、園芸用語としていまでも使われています。weblio辞書園芸用語辞典では化土「アシなど水辺の植物が土の中で腐って堆積し、粘土質になった軟らかい黒土。水持ちがよく粘りがあるので石に植物を貼り付けたり、湿度を保つために使う。 」と説明されています。
 「天保期の印旛沼堀割普請」(平成10年千葉市発行)に収録されている「続保定記」(山形県平田町久松俊一家文書)の口絵(絵地図)には化灯場とそうでない場所の記述がありますので、この絵地図の花見川谷頭部分を示したものが上図です。
この図の「元池弁天ヨリ此辺迄砂土ニテ堅キ方也」という記述と「化灯場」の記述が並んでいて、「化灯場」の上限を知ることが出来ます。

 この二つの「言葉の位置」を枠で旧版1万分の1地形図にプロットしてみると、次のようになります。
化灯場の上流限界は、は右岸と左岸から二つの谷津が合流する直上流部付近であることがわかります。それより上流は堆積作用よりも侵食作用が卓越する区間だと想像できます。
この図は上図を現代図に置き換えたものです。青い水管橋付近が化灯場の分布上限になります。

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