2011年3月26日土曜日

印旛沼堀割普請の丁場と素掘堀割の残存

●印旛沼堀割普請
天明期および享保期の印旛沼堀割普請は干拓による新田開発と防災のための地域開発で、地元のニーズに従って実施されました。(この2つの普請は最終的には失敗しました。)この普請跡(古堀筋)を利用して天保期の印旛沼堀割普請が行われました。幕府が外国船による東京湾封鎖を恐れて、舟運による物資輸送ルート確保(東北沿岸→利根川→印旛沼→東京湾)を主眼に実施されたものです。(この普請も完成することなく終わり、印旛沼開発の完成は昭和43年度まで待たなければならなかったのです。)

●お手伝い普請
天保期印旛沼堀割普請はお手伝い普請であり、幕府の命により次の全国5藩が従事しました。
1の手(平戸村~横戸村) 沼津藩(水野家) 現静岡県沼津市
2の手(横戸村~柏井村) 庄内藩(酒井家) 現山形県鶴岡市
3の手(柏井村~花島村) 鳥取藩(松平家) 現鳥取県鳥取市
4の手(花島村~畑村)  貝淵藩(林家)  現千葉県木更津市
5の手(畑村~検見川村) 秋月藩(黒田家) 現福岡県甘木市

●丁場区分
1の手から5の手までの丁場(工区)区分は、久松宗作著「続保定記」の絵地図に境界現地における3本の境界杭(各藩1本の領域説明杭、持場境杭)と旗2本(日の丸、御用)のイラスト入りで表現されています。
続保定記における丁場(工区)区分のイラスト表現
 上図は柏井村右岸台地上の丁場(工区)区分表現です。左から御用の旗、鳥取藩の領域説明杭、持場境杭(領域説明杭の半分以下の丈)、庄内藩の領域説明杭、日の丸の旗が表現されています。また領域説明杭の説明内容がイラストの上に文字で書かれています。(イラストは「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用)

●丁場区分のプロット
 続保定記の絵地図に表現された丁場境界杭の位置を近代測量図にプロットしました。プロットは次の4つの要因により、ストレスなく、思った以上に正確に出来ました。
1 天保期と地物変化量の少ない近代測量図を使えたこと
使った近代測量図は大正6年測図1万分の1地形図です。この地形図に表現されている地物は天保期の地物と変わったところはあまり無いので、プロットするには効率的です。現代の地図に直接プロットすることは、地物改変量が多く、困難です。
2 続保定記絵地図のデジタル巻物を使ったこと
冊子版の絵地図画像を1枚のデジタル巻物に編集したことによって比定作業の飛躍的効率化を図れました。
3 GPS、GIS活用によって土地勘の向上が図られていたこと
私の散歩では、GPSロガーを利用することにより現場写真に位置情報を埋め込み、それをGISでマップ表現して利用しています。この作業を散歩ごとに繰り返すことにより、通常では得られない精度の高い野外土地勘を得ることができました。続保定記の絵地図は鳥瞰図的視点で表現されているように見えますが、その本質は野外に立った人が見た情景を写実的に表現しています。ですから、絵地図に表現された情報は、私が得た野外土地勘と共通(共振)するものがあるように感じました。
4 久松宗作の観察眼が鋭く、表現に写実性があったこと
作業した後で判ったことですが、続保定記著者の久松宗作の観察眼が鋭く、地形をはじめとする地物の現場の特徴をよく押さえ正確であること、その表現に写実性があったことが一番重要だと思いました。

次図は、続保定記の絵地図に表現された丁場境界杭の位置を近代測量図にプロットした結果に、出自タイプを併記して示します。


印旛沼堀割普請の丁場区分

●庄内藩の持場
 上図の内、庄内藩の持場を次に拡大して表示します。


庄内藩(酒井家)の持場

 庄内藩の持場の出自タイプを見ると、古柏井川タイプの全てと花見川争奪化灯タイプの一部となっています。
 花見川の6つの出自タイプのうち、堀割を素掘した普請は出自が古柏井川タイプの区間だけです。つまり、庄内藩しか堀割を素掘していません。他の出自タイプは全て既存水路の改修であるといって過言ではありません。

●各藩持場と出自タイプ、工事内容の対応
つまり、各藩持場と出自タイプ、工事内容の対応には、次のような関係があります。
1の手 沼津藩 平戸川タイプ      平戸川の改修
2の手 庄内藩 古柏井川タイプ     堀割の素掘
          花見川争奪化灯タイプ 花見川の改修(化灯対策)
3の手 鳥取藩 花見川争奪化灯タイプ  花見川の改修(化灯対策)
          花見川化灯タイプ   花見川の改修(化灯対策)
4の手 貝淵藩 花見川化灯タイプ    花見川の改修(化灯対策)
          花見川砂地タイプ   花見川の改修
5の手 秋月藩 花見川砂地タイプ    花見川の改修

●素掘堀割のイラスト
 庄内藩が担当した古柏井川タイプの堀割素掘区間の現状写真とほぼ同じ場所の続保定記イラストを次に掲載します。

弁天橋から下流方向の堀割風景(現状)

続保定記掲載イラスト「百川雇丁場堀割之所」
            人海戦術による素掘の情景を描いている
(イラストは「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用)

●素掘堀割が有する価値
 谷底平野の河川改修の跡は現在では物としては何も残っていないと思いますが、堀割の素掘は物として残っています。この物として残っている素掘堀割の文化遺産、土木遺産としての価値について社会が気づき、地域づくりに活用するとともに、後世に伝えていくことが大切であると思います。

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