2011年4月11日月曜日

北高津川流域紀行 2習志野演習場見学記

            陸上自衛隊習志野演習場(2.5万地形図)

            習志野演習場区域の旧版地図
            (1/1万地形図「習志野原」大正6年測図)

 花見川の本川筋、支川筋の散歩をほとんど済ませたとき、陸上自衛隊習志野演習場内に入っていないことが気がかりになりました。そこで、陸上自衛隊習志野駐屯地に電話で、「個人の趣味で花見川流域を歩いている。自衛隊演習場内も歩きたいので許可してほしい」旨お願いしました。結果は車で案内していただけることになりました。近隣住民に対するサービスのよさに感心しました。
 当日は所定の時間に習志野駐屯地に出向き、そこから案内の方(第1空挺団第1科広報幹部)、運転の方、私の3名で演習場に向かいました。

            第1空挺団の方に案内していただいた

 最初に自衛隊および周辺住民の方が現在「マムシ森」、「マムシ沢」と呼んでいる場所に出向きました。ここは大正6年測量の旧版1万分の1地形図で「境谷」と記載されている谷です。私が仮称でつけた北高津川の上流部です。
 マムシ森付近をはじめ演習場内にはキジ、ヤマドリ、タヌキ、ノウサギなどが生息しているとのことです。私もヤマドリが5羽が道路脇の樹木下の影にいて、近くまで自動車が近づいても特段逃げ出さないのことに驚きました。市街地の中の野生動物生息孤島になっているようです。
 一方、空挺団はここでサバイバル訓練(自活生存訓練)をしていて、ヘビなどの小動物を採って食べることもあるとのことです。隊員が作った手作りの生きもの供養塔もありました。

            マムシ森

 この谷には常時水があり、演習場出口付近にはたまり水になったところがあります。ここには魚がいると説明を受けました。
 また、古い土手があります。旧版1万分の1地形図をみると土手が北高津川に沿って延びています。現地でもかなりの土手が残っている印象を受けました。
 青木更吉「小金牧を歩く」(崙書房、2003)によれば、この水溜りはかつての野馬の水のみ場で、土手は小金牧の野馬土手だそうです。

 野馬の水飲み場だった水溜りと野馬土手

 北高津川と高津川の中間付近は高津森という名所の立て札があります。

            高津森

 高津川の支流は旧版地形図では大和田谷となっていますが、現場の立て札でも大和田谷となっていました。
 草刈された自然地形を利用して空挺団の落下傘降下訓練が行われているとのことです。降下高度はヘリコプターの場合は400m、固定翼機の場合は4000m降下もあるとのことです。
 大和田谷付近の地形を現場で確認すると、旧版地形図の地形とも一致し、大規模な地形改変はないように感じました。本来の台地上の浅い谷という自然地形がそのまま残されていることは大変貴重であると考えます。

            大和田谷

            落下傘降下訓練

 大和田谷の近くに馬頭観音があると説明を受けた塚があります。塚の上には庚申塔があります。旧版地形図にもこの塚は出ていて、塚上には墓の記号が書いてあります。

            庚申塔がある塚

 大和田谷の下流は人家も近く、降下訓練には利用されていないようです。

            大和田谷の振り子橋

 なお、見学当日にはバズーカ砲を持った隊員が、地上戦を想定したような訓練をしている現場も見かけました。
 また、案内していただいた広報幹部の方から、習志野駐屯地の「習志野」の由来についてお話を聞きました。(内容は別記事で紹介します。)
 帰りがけには「第1空挺団 –精鋭無比-」というパンフレットをもらいました。自衛隊のパンフレットは始めてで、大変興味深い内容が書いてあるものでした。

            第1空挺団のパンフレット


 現在(平成23年4月11日)、第1空挺団は約1000名の隊員を被災地に派遣し、救援物資の輸送支援や、原発から20~30km圏内にある施設(病院、養護施設)や居住者の細部状況を確認しています。(第1空挺団ホームページより)

 国民の期待に応える自衛隊の活動に感謝します。

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