2011年10月16日日曜日

花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想1

花見川河川争奪を知る12 花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想1

oryzasan氏から河川争奪に関連して再度コメントをしていただきました。「図を使わずに文章だけで意見を述べるのは困難なので、掲示板での場ではなく、メールに添付する形でコメントする」ということで、立派な論文をメール添付で送っていただきました。専門家の立場から詳しい情報を懇切丁寧に教えていただき、大感激、大感謝です。

論文は次のような4章構成になっており、11画像付きA4版8ページに及ぶものです。(論文題名はクーラーが付けました)

花見川の地学
Ⅰ. 台地と低地の形成史
Ⅱ. 現在の川筋が決まったのはいつか
Ⅲ. 「古柏井川」は存在したか
Ⅳ. 花見川付近でのみ分水界が北にずれたのはなぜか

ブログという性格上記事を区切る必要がありますので、1章1章別記事として順次紹介させていただき、その都度私の感想等も述べさせていただきます。後日論文全体を別のページに掲載させていただきます。

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oryzasan氏論文「花見川の地学」 第1章引用

Ⅰ. 台地と低地の形成史
房総半島北西部を含む関東平野の地形は、大きく見ると、高さの異なる二枚の平坦面と境界の急斜面とから出来ています。高い方の平坦面が「台地」、低い方の平坦面が「低地」、境界の斜面を「段丘崖」と言います。

図1

台地では古東京湾と呼ばれる海に積もった、上岩橋層や木下層の上に、常総粘土層や武蔵野ローム層、立川ローム層などの火山灰層が堆積しています。なお、これらの火山灰層のうち、常総粘土層は湿地堆積ですが、他は乾いた陸上に降灰したものです。またこれらの火山灰層中には、三色アイス軽石層(SIP:約13万年前の箱根山の噴出物)、東京軽石層(Tp:約5万年前、箱根山)、姶良-Tn火山灰(約2.4万年前、鹿児島湾の姶良カルデラ)などの年代、分布、噴出源の明確な「鍵層」が挟まれています。

一方低地では、これらの地層をV字状に削り込んだ谷を、沖積層が半分ほど埋めています。沖積層はこの地域では、約1.7万年前以降に堆積した地層で、海または海へと続く湿地堆積の地層です。この海はいわゆる縄文の海で、この地域では、印旛沼方向から入り込んだ「古鬼怒湾」と、東京湾側から、海老川、菊田川、浜田川-花見川低地などに入り込んだ小さな入り江がありました。古鬼怒湾は新川低地の宮内付近まで入り込んでいたことが、沖積層中のケイソウ化石の分析からわかっています。また花見川低地では、天戸付近にまで海が入り込んでいたことを、もう20年も前のことですが、河川敷に散布されていた工事残土中の貝化石から確認しています。

従って台地と低地とは、新川低地を例にすれば、次のようにしてできたと考えられます。
台地と低地の形成には、海水面の上下が密接に関係しており、古東京湾の時代以降V字谷の時代に至る海水面低下期にかけての、浸食作用卓越期に低地の基本形となるV字谷が形成され、海進期の入り江の時代に底が埋められて低地が完成します。浸食作用の卓越は、海水面低下期に伴う、海と陸との相対的な高度差の増加によってもたらされたと考えられ、その条件の失われた入り江の時代以降、低地の川が新たに川底を削り込むようなことは起きていません。

図2
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