2011年10月29日土曜日

ねむの木さんからのコメント

ねむの木さんからコメントをいただきました。

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おはようございます。

30年も 前の ことですが 犢橋小学校のPTAのお母さんたちが 「ふるさとこてはしを 知ろう」ということで 地域のお年寄りを 訪ねたり 文献で調べ 広報誌に連載したことがありました。
 「犢橋」の地名の由来は いま天戸大橋が架かっている橋の工事が 両岸の地盤が悪く どうしても うまくいかず 人柱の代わりに 生きた子牛を埋め 神様に捧げたそうです。 そこで 「こうしばし」「こてはし」「犢橋」となったとかーー。
子牛のことを「こて」と呼ぶと 聞いたことがありますので 調べてみたいと思っていますがーーー。

いま80代の人たちのころは よく花見川の岸辺で遊び  その頃は 清水がたくさん 流れでていた聞いた記憶があります、 なにしろ  難工事で 多くの人が 犠牲になり いまでも その供養塔があるそうですが 見たことは ありません。

橋の名前は 隣村と 折り合いがつかず 船橋側が「 天戸橋」 四街道側には 「犢橋」と表示が あったのですが 昨日 車の中から みたら 「御成街道 天戸大橋」と 真ん中ごろに 表示板が たっていました。

御成街道につきましても 面白いはなしがありますが ご存知ですか?

遅れましたが 私のことは 竹中機械製作所で 検索なさってみていただけたらーーーと 思います。「切削侍」のなかで「おんな侍」 で書いています、 これからも よろしくお願いいたします。

2011年10月21日9:34
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ねむの木さんごめんなさい。 投稿していただいたコメントが、どうしてかわかりませんが、スパムホルダーに入っていて、しばらくそこを見なかったものですから、掲載がおくれてしまいました。

犢橋の由来はとても興味があります。牛に関係することはいろいろな地名辞典に出ていますが、本当にそうか、私も調べたいと思います。
やはり「こて」の音が最初にあり、漢字は当て字と考えて、その意味を考えてみたいと思います。

それとともに、人柱のかわりに子牛をささげたという点に強く興味を惹かれます。つまり、かつては人柱があったということです。物騒なことになるので情報が地域外に出ないけれど、明治以降まで実際に人柱を立てて土木工事をしたという話を聞きます。
土木の隠れた歴史として興味が湧きます。

御成街道の橋の名前が両岸で違っていたという話も興味がわきます。この付近の明治以降の行政区域の帰属変遷は複雑であり、近隣の地域が競うような「政治」が好きな風土があるような印象をもっています。それは日本全国同じかもしれませんが。

WEB見させていただきました。あらゆる難加工に 情熱でトライする男たちのブログ「切削侍」は人気ブログですね。

今後もコメントよろしくお願い申し上げます。御成街道の話など。

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