2011年12月17日土曜日

船橋市三山の二宮神社 1

参道の地形的特異性

以前の記事(2011.8.18「流域界付近の泉と文化の検討」)で、その「予察」を書いたように、船橋市三山の二宮神社は多様な視点から興味を募らせるものです。

まだ炎暑の季節だった9月11日に現地に出向き参拝し、様子を体感しました。
しかし、このブログでは他の話題で忙しかったので報告しそびれていました。そこで、写真の趣は今の季節に合いませんが、現場の状況についてレポートしてみます。

神社正面の鳥居をくぐると、谷津斜面を降りて谷底に至ります。
そして再び谷津斜面を登り本殿に至ります。
参道が谷津地形を横断するという特異な形態になっています。

1正面鳥居

2一旦谷津谷底に降りる参道

谷底には「御手洗之泉(みらたらしのいけ)」があります。

3御手洗之泉(みらたらしのいけ)

二宮神社付近の地図と写真位置
船橋市より提供していただいたDMデータです。

旧版1万分の1地形図「大久保」部分
大正6年測量

残念ながら泉(いけ)そのものは現在貧相な形状になってしまっています。
しかし、この神社のオリジナリティーがこの泉(いけ)にあり、この泉(いけ)に参拝することこそが真の意味で神社に参拝することであることがよく理解できました。
そのような理解を万人にさせるための仕掛けとして参道の特異な地形利用があることもよく理解できます。

泉脇の碑には次の文面が書かれています。 ……………………………………………………………………
御手洗之泉
みたらしのいけ

この泉は往古から湧き出ていた泉である
私達の祖先はこの泉を発見しこれを水源地としてこの附近で農耕の生業を創めたものと推測される
その昔この地は老松古杉が森々として崇厳の気が充ち充ちて「御山」を称ばれていた
この神域に健速須佐之男命・櫛稻田比売命・大國主命を祭神として二宮神社を創立し三山の守護神とした
米づくりは住民の生業の中心をなしこの泉は必要欠く可からざるものであった
時により干天が続き民家の井戸が乾いてもこの泉だけは枯れることなく渾々と湧出を続け村民の生命を護り続けて現代に至っている
古老はこの泉の水を飲むと母親の乳が良くでると言い伝えてもいる
この清水の湧出がある限り三山の繁栄を象徴する泉である。

昭和四十九年二月十五日記
……………………………………………………………………

御手洗之泉を参拝してから谷津斜面を登りると拝殿が眼前に現れます。

4 拝殿

(つづく)

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