2011年12月2日金曜日

犢橋小学校柏井分校

柏井付近の地形地質調査をしている時、自分にとって予期せぬ場所に犢橋小学校柏井分校跡地を見つけました。
南柏井公園の看板があり、分校敷地跡をそのまま千葉市立公園にしたものであるようです。露頭をもとめて普段の散歩では入らない小径の先で見つけました。
この公園の情報は千葉市等のホームページからは得ることができませんでした。

柏井分校跡地の全景

柏井分校跡地の説明板

北柏井、南柏井の集落の人以外で、この分校跡の存在を知る人は、教育関係者を除いて、おそらくほとんどいないのではないかと想像しました。
近くの新興住宅団地に住んでいる自分がこの分校跡地の存在を知ることができたことは、言葉で十分説明できませんが、なにかラッキーな感じがしました。

現地の説明板には次の文章が書かれています。 ……………………………………………………………………
明治31年(1898年)、泉蔵寺におかれた柏井分教場が昭和5年(1930年)の、この地に移りました。
昭和22年(1947年)教育制度が改められ、柏井分教場は柏井分校と名前が変更されました。分校では、1年生から3年生までの子供が学び、4年生以上の子供は犢橋小学校に通いました。
昭和43年(1968年)、花見川団地内に千葉市立花見川第二小学校ができ、分校で学んでいた子供達は花見川第二小学校に通うことになりました。それにともない柏井分校は廃止され、70年もの長い歴史を閉じました。
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柏井分校の位置とこの説明に出てくる二つの小学校の位置を地図にプロットしてみました。
柏井分校等の位置図

北柏井と南柏井の集落の人々にとって柏井分校の存在は子弟の教育をする上で、近距離に学校を確保するという意味で重要な役割を果たしていたことがこのマップから推察されます。
また、花見川第二小学校ができて北柏井と南柏井の子供の通学距離と施設面の教育環境改善が図られてことが判ります。
しかし、柏井橋が歩行者に危険な現状では、南柏井(花見川東岸)の子供の通学上の安全に重大な問題があります。
大人の私でも、柏井橋を歩行で通過することは危険を感じます。

花見川第二小学校の校区
花見川第二小学校ホームページより

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