2011年12月31日土曜日

GROBEさんのコメント(2011.12.26)の感想

GROBEさんからコメント(2011.12.26)をいただきました。(2011.12.20記事「GROBEさんコメントの感想」)
感謝申し上げます。

内容は次の通りです。
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GROBE さんのコメント...
  沖積層全てが海進が進んでいった時の堆積物と考えるのは乱暴で、内容を精査する必要があり、周辺部にも視野を広げて調べたところ、TP +-3m以内の沖積層中の貝殻の有無で顕著な違いを見いだしました。
さつきが丘より下流側各点(整理番号12455以西)では存在しますが、花島橋付近より上流側各点(整理番号31747以北)では存在しません。
下流部と同様海水が谷底を満たしていれば生態も同様だったはず。
これにより自分はこう考察しました。
柏井に至る支谷津は、氷期には現在より10m程低い谷底であったが、その後海面が上昇する1万数千年間に再堆積物や腐食質による堆積が進み、海進最高時点に於いては海水が侵入する谷底の状態ではなかった。
Web上の情報では縄文海進に関して、 面白半分で極端に扱われている場合が多いように感じます。
2011年12月26日3:02
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このコメントの感想を述べます。

柱状図で貝殻の記載のある場所は貝塚のある場所と大体重なるので、GROBEさんのおっしゃるとおり、そこにははっきりした海の生態があったことは確実だと思います。

柱状図で貝殻の記載のない場所について、どのように捉えたらよいか、GROBEさんのコメントをきっかけに、考えてみました。
次の図は前回掲載した千葉県地質環境インフォメーションバンクから得た情報に、仮定として、縄文海進クライマックスの標高TP+3mのラインを点線で入れたものです。

花見川谷底の地質柱状図

本当は、地質柱状図の標高比較をするときに、地殻変動の影響を加味しなければならないと思います。柏井付近で隆起し、下流では相対的に沈降するという傾向の地殻変動が縄文海進前から現在まで続いていると言われています。 しかし、その影響の程度を考える材料が見つかりませんので、ここでは、地殻変動の影響はとりあえず無視しています。

縄文海進のクライマックスの標高をTP+3mと仮定します。

その場合、花島南(花見川大橋付近)と花島ではこのクライマックスの海水準より下に沖積層が位置しています。
この沖積層の上面(A層とB層の境)は縄文海進クライマックスの海面の時の海底だと、雑駁ですが、考えてあまり間違いはないと思っています。
つまり、花島南と花島の沖積層(B層)は海面の下に位置したことがある沖積層です。
貝殻の記載はないけれども海成層であると私は考えました。
河成層と考える積極的材料が見つかりません。

柏井橋付近(整理番号32400)の柱状図のB層は有機質シルトとなっており、観察記事として「全体に砂、腐植物を混じる。部分的に砂多くなる。含水中」となっています。
この情報は、ラグーン的環境を示唆しているかもしれないと考えます。
入り江奥の海と川の間には、ラグーン(潟湖、汽水域)のような環境が形成されるのが一般的です。
花見川谷津のような細長く狭い場所で、ラグーンに相当するような海と川の中間的な環境がどのように存在したのか、今後検討することが大切だと思いました。

縄文海進時の花見川と同じような地形の場所が、現在どこかに存在していれば、その入り江の堆積環境を見れば、考察のヒントが得られるかもしれません。

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