2012年2月4日土曜日

横戸4谷津の延伸思考実験と副産物(?)

1 横戸1谷津~横戸3谷津の延伸検討
横戸1谷津~横戸3谷津の上流部は東京湾側水系の深い谷で切られています。
東京湾側水系で切られる前にはもっと南に谷津地形が続いていたことが想定されます。
私は犢橋川の南側の台地(さつきが丘団地付近)まで続いていたと考えています。
旧版1万分の1地形図、1949年撮影米軍空中写真、現代の5mメッシュデータ(標高)など手持ちの情報源で詳しく調べてみましたが、谷津(浅い谷)地形を南方向に延伸して確認できるような決め手を見つけることはできませんでした。

見つけられない理由は次の2点にあると思います。
ア 浅い谷は上流に向かってますます浅くなり、地形として確認しづらくなくなること。
イ 等高線間隔より小さい比高の地形になり、等高線で表現できなくなること。(注)

5mメッシュデータは0.1m単位ですが、私はこのデータを1m単位でしか利用していません。 そこで、5mメッシュデータを使って0.1m間隔の標高区分図あるいは等高線図を作成すれば、ひょっとすると畑地などの土地利用のところで横戸1谷津~横戸3谷津の確認されていない上流部を見つけることができるかもしれません。
0.1m間隔標高区分図あるいは等高線図を手持ちのソフトと自分の技量で作れないか、近々チャレンジしたいと思います。


DMデータ等高線間隔:1m
旧版1万分の1地形図等高線間隔(平坦部補助曲線):1.25m
(特徴的地形を表現する場合特殊的に0.625m間隔補助曲線も使う)
(一般部主曲線は2.5m間隔)

2 横戸4谷津の延伸検討
横戸4谷津の浅い谷地形は、上流方向(南方向)にたどると、現在、東金街道(正確には千葉県道69号長沼船橋線)付近まで確認できます。そこで、東京湾側水系(犢橋川)の浸食作用で途切れます。
台地面(下総上位面)は犢橋川を挟んで、もっと南まで広がっていますから、横戸4谷津を上流方向に延伸して犢橋川対岸の台地上にその浅い谷地形をたどることができないか、検討しました。
旧版1万分の1地形図や1949年撮影米軍空中写真、あるいは現代の5mメッシュ(標高)データの判読、分析を行いましたが、結局決め手となる情報は得られませんでした。
犢橋川による台地浸食が進んでいることと、地形改変を伴う開発が著しいためです。

浅い谷地形の延伸部分はわからないのですが、新たな疑問点が浮かび上がりました。 それは、横戸4谷津を思考実験として南に延伸させた場合、犢橋川対岸の台地では標高が3.5m程足りない(低い)ということです。

横戸4谷津を南に延伸させる思考実験

横戸4谷津が現在よりも南に0.5㎞ほど延伸していたと思考すると、その位置の台地標高は3.5m程足りない。

断面図の位置
カシミール3Dの機能による5mメッシュの等高線表示(1m間隔)

横戸4谷津と犢橋川対岸台地のレリーフ図
カシミール3D+5mメッシュ
高さ10倍強調
画面右が北側、左が南側

犢橋川南岸の台地で標高が3.5m足りない原因は、犢橋川北岸台地と南岸台地の間付近に地形の段差を生じるような原因があるのかもしれません。
犢橋川の谷は、小崖2→小崖1→○○という何か(○○)があってもおかしくない位置にあり、方向性を有しています。
このような視点から上記レリーフ図をみると、犢橋川北岸台地縁に小崖らしき断片の連続が確認できます。

小崖らしき断片の連続
この小崖らしき断片の連続が小崖1や小崖2と同じように、地殻変動と関わりのある意味のある地形であるのか、単なる浸食地形にすぎないのか、今後検討を深めたいと思います。

もしかしたら思考実験の中から有用な副産物(小崖1や小崖2と同様の地形の新発見)を得たのかもしれません。あるいは「スカ」をつかんだにすぎないのかもしれません。

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