2012年3月27日火曜日

メモ 竹林分布の理由

前後の記事と関係ありませんが、散歩中気がついたことがありますので、メモとして記録しておきます。

2012.3.27早朝の花見川堀割

写真にあるように花見川堀割にはマダケを主とした竹林が集中的に分布しています。
地図で確認すると柏井付近に偏在していて、堀割普請との関係が暗示され、幾つかの記事にしました。
しかし、竹林偏在分布の真の理由として自分自身が納得できるものは見つかりませんでした。

今朝の散歩中、突然、自分自身が納得できる竹林分布の理由が思い浮かびました。

堀割普請は3回行われましたので、付近の住民は「堀割普請が近々始まり、竹木等の資材の調達があるから、斜面など利用されていない土地に竹林を造成しておき、現金収入の途を作っておこう。普請が終わってもその維持管理で竹が必要なので、コンスタントに売れる。」と思案した時期が3回あったことになります。
3回のうち後2回は普請で竹が大量に使われたという体験をした後のことです。

柏井の人々が土木用材料として、あるいは土木用器具(ざる、かご、鋤簾等)の材料として、竹を売るために竹林を造成したと考えると、私は、竹林偏在分布の第1番の理由がそこにあると、深く納得しました。

なぜ、これまで、このような基本的なことに着眼できなかったのか、自分でも不思議です。

「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)をめくると、竹が工事で多量に使われていたことがしのばれる現場や道具・仕掛けの絵図が沢山あります。それらの絵図の竹は細いマダケとみられるものばかりです。
また、幕府側の竹購入や工事終了後の払い下げ記録もあります。

*  *  *

資材の納入や払い下げの、近隣地域における窓口は柏井村名主川口真右衛門が担っていたようです。柏井村名主に経済的才覚があったので竹林が出来たと考えます。


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