2012年8月17日金曜日

双子塚古墳を古墳として認定しない怪

双子塚古墳の過去・現在・未来 その11
双子塚古墳出土物を閲覧して

5 現代
5-2 双子塚古墳を古墳として認定しない怪
報告書(「千葉市双子塚-横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)では「Ⅳむすび」で次のように記述しています。

本遺跡は、古墳としての可能性を認めながらも、塚として調査を開始した。塚として扱われた埋由は、近接して古噴が認められず、北東約600mに明らかに塚と認められる庚申塚群が存在することによった。一方、古墳としての可能性は、その規模が庚申塚群のそれと比して大きいこと、周囲に周溝を思わせる窪みが存在することと、その「双子塚」と称せられる名称にあった。 調査の結果、周溝の存在、規模、積土の状態などからして古墳として築造され、江戸時代に塚として利用されたものと推測されるに至った。古境としては、主体部も検出されず、遺物としても古墳に直接的に関係すると判断できる遺物はなく、その時期的な判定は困難である。 塚としては、寛永通宝・片口鉄鍋・皿などからして江戸時代に利用されたものと推測される。…

要するに単なる塚であるのか、古墳であったものが塚として使われたのか不明であったが、調査の結果古墳としてつくられ、江戸時代には塚として利用されたことが判ったという結論が述べられています。

ところが、千葉県埋蔵文化財分布図(3)(平成11年3月、千葉県教育委員会)には地図上の位置とともに次の情報が掲載されています。

埋蔵文化財包蔵地所在地名一覧(抜粋)

事項
記載内容
遺跡名
双子塚(ふたごつか)遺跡
所在地
千葉市花見川区横戸町1346-1
種別
包蔵地、
時代等
縄文(中)、古墳、近世
遺構・遺物等
縄文土器(加曾利E)、土師器、陶器、片口鉄鍋、寛永通宝
立地
台地上・宅地、荒地
文献
117
備考

双子塚古墳の埋蔵文化財種別が「塚」となっています。「古墳」になっていません。
遺跡名にも古墳が表示されていません。

ですから、これまでに著述された、千葉市の古墳を扱った全ての文献で、千葉市最北端の古墳である双子塚古墳はリストアップされていません。
古墳として検討対象となったことはありません。

せっかくの発掘調査報告書の検討成果が社会的にまったく活かされていません。
学術的情報面で生じている社会ロスは大きなものであると考えます。

発掘調査により双子塚古墳が記録され、除去された後、約30年経ちますが、その跡地の現況は次のようになっています。

双子塚古墳除去跡地の現況

古墳除去跡地は、30年間雑草再生天国になっています。あるいは除草業者の不滅の仕事場というべきか。(草刈の費用は千葉市民が納めた税金で賄われています。)

双子塚古墳の記録はしたけれど、その活用もおざなり、その跡地も放置という状況は軌を一にしています。
誰がどうしてとまで考えても詮方なしですので止めますが、一言でいえば、1983年(昭和58年)当時、双子塚古墳の扱いについて、頭から軽視してかかる態度が開発部局にも、埋蔵文化財担当部局にも存在していたのだと思います。
アリバイを残せば一件落着といったところでしょうか。
当時の行政担当者には、埋蔵文化財から地域の歴史を読み取り地域づくりに活かそうなどという思考は存在しなかったようです。
そうした風潮にもかかわらず、双子塚古墳の現場の記録だけはきちんと行われたので、それが一つの救いになっています。

(つづく)

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