2012年11月23日金曜日

ゴルフ場に隣接する花見川河川敷内トーチカについて考える 上

1 トーチカの存在はほぼ確実だと考える
 2012.11.19記事「速報 花見川河川空間内のトーチカ発見(写真掲載)」で報告したようにトーチカの監視塔と考えられる、銃眼口のある古く壊れたコンクリート構造物を見つけました。
対岸からの観察、空中写真の画像等から地下に大きなコンクリートの部屋(トーチカの本体)が埋まっていることが予想されます。
今後調査を深めなければこのコンクリート構造物の真の正体を正確にとらえることはできません。しかし、ここにトーチカを含む戦争遺跡があることはほぼ確実視できると考えるに至りました。

トーチカの上に付いている監視塔と考えているコンクリート構造物

 2 私がトーチカに興味を持つ理由
このブログでは花見川流域を散歩し、そこにある自然的・歴史的・社会的資産(例 地形地質やその発達を示す現象、動植物、歴史的地物、土木遺構、地名等の文化的遺産…)を徹底して掘り起し、花見川流域としてそれらを関連付け、川づくりや地域づくりに役立てることができないだろうかと考えています。
そういう意味で戦争遺跡もまた、負のイメージが強くまとわりついている資産ではありますが、花見川流域のアイデンティティを構成する重要資産であり、決して省略することは許されません。
 このような視点から戦争遺跡もまた川づくり、地域づくりに必須のアイテムとして強い興味を持ちます。
 狭い「趣味の軍事」からではなく、歴史や平和を考える素材の一つとして戦争遺跡に興味を持ちます。

 【参考】
トーチカを防空糧秣倉庫と間違って見立てていた時に参照した「築城施設要図」
「鋼作命甲第三十二号別冊 富士号演習築城実施計画 昭和十九年十二月十五日鋼部隊」に収録
「幻の本土決戦 千葉県における軍事機密文書」(野馬曳き文庫、1987)より引用

 この図の中にゴルフ場(鷹之台カンツリー倶楽部)として糧秣Ⅶ型6個と書いてあります。
その6個の一つがこの構造物ではないだろうかと最初に考えました。
しかし、資料をよく読むとⅦ型として築城した施設は木材で支えた素掘り防空壕でした。
またゴルフ場の西側に造ったという記述があり、糧秣Ⅶ型は、発見したトーチカとは無関係であることが判りました。
花見川流域は習志野演習場、下志津演習場という日本の軍事力向上に大きな役割を果たした陸軍演習場があっただけでなく、この資料に示されるとおり、戦争末期には本土決戦に備えた糧秣・燃料備蓄防空倉庫を要所につくるなど、上陸米軍を迎撃するための重要防御ラインに位置付けられていたと考えます。

3 トーチカ調査の方向
2012.11.19記事「速報 花見川河川空間内のトーチカ発見(写真掲載)」に書いた現場下見では、安全等の視点から積極的な調査は控えました。
一人で下見したのですから、万が一立坑にでも落ちたら声を出しても、だれかに助けに来てもらえる保証はありません。
しかし、最初は誰かが現場を確認して、言いだしっぺになければ埒が明かないので、多少の安全性は犠牲にして下見した次第です。
銃眼口のあるコンクリート構造物を発見してしまった以上、本格調査(学術的調査)が必要であると私は考えます。しかし、その前段として予備調査が必須です。
行政サイドも、学術サイドもこの場所に本格調査を展開すべき価値ある対象物の存在を認識するに足る情報が必要であるからです。
このような思考から、少なくとも予備調査までは私自身としてぜひとも実現したいと考えています。予備調査で構造物としてのトーチカの全体像を想定できる情報を得たいと思います。
その後は行政等に働きかけ、学術的調査を実施していただき、トーチカの内部を含めた詳細な構造、目的、戦後これまで気がつかれなかった理由、現代社会における存在意義(戦争遺跡としての保存価値)等について明らかにしてもらいたいと思います。
 (つづく)

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