2013年7月13日土曜日

柏井と横戸の直線状境界は古代官道の跡(仮説)

花見川地峡の自然史と交通の記憶 28

1 古代官道が存在したという仮説発想の経緯
千葉市柏井町と横戸町の境界のうち、鷹之台ゴルフ倶楽部付近は直線状になっています。
この直線状境界線は、17世紀中ごろに作られた「小金牧周辺野絵図」にも出てくる境界線です。

17世紀中頃の柏井内野の境と現代柏井町と横戸町の境の対応

以前、この境界線の直線性に興味をもち、それが2つの古墳を測量杭として利用して引かれた直線であることに気が付き、記事にしました。

迅速図(明治15年測量)では、この直線状境界に土手が築かれていて、馬防土手として利用されていたことを表現しています。

迅速図に表現された直線状土手
迅速図「千葉県下総国千葉郡大和田村」図幅部分(明治15年測量)

最近、古代において東海道本道の駅として浮島駅が幕張にあったことを知りました。そして、古代の駅は陸路と水運路の交点につくられるという研究成果を知り、浮島駅は東京湾岸を通る陸路の駅だけでなく、花見川-平戸川水運の水駅(起終点)としての機能も持っていた可能性について気がつきました。
2013.06.24記事「平安時代の東海道と花見川地峡」参照

そうした観点から柏井と横戸の直線状境界を見ると、この境界線が花見川水系の水運と平戸川水系の水運を結ぶ、花見川地峡の古代官道であるという仮説を持つに至りました。

花見川地峡の古代官道存在仮説

2 花見川地峡の古代官道存在仮説を支持する情報
柏井と横戸の直線状境界が律令国家成立頃の官道であるという仮説を持つに至った理由は次のとおりです。

2-1 花見川の最上流部(谷中分水界)と高津(古代港湾)を最短距離で結ぶ
花見川水系の水運と平戸川水系の水運を結ぶ陸路ルートは谷津地形の連続性という観点から言えば次図のAルートが合理的です。私は奈良時代に高津(軍事拠点)ができるまでは縄文時代からずっとAルートが使われてきたのだと想像しています。

花見川と平戸川を結ぶAルート

しかし、高津ができてからは、効率的な交通と地域支配や軍事的要因から陸路ルートをBルートに変更して、Aルートは廃止したのだと思います。
(高津仮説については、2013.07.12記事「八千代市高津は古代港湾(仮説)」参照)

花見川と平戸川を結ぶBルート

古代律令国家はBルート(直線状道路)を整備して官道とすることにより次のようなメリットを得ていたものと考えます。

ア 花見川と高津の港を直結する陸路ルートにより、花見川と平戸川の交通を効率化する。(高津の港機能を最大限利用する。)
イ 高津を通る交通にすることで、人や物の移動を管理統制できる。(関所機能)
ウ 高津を通る交通にすることで、(高津を通らない交通ルートを廃止することにより)高津の軍事拠点的意義を高める。

2-2 直線形状道路を設置することにより律令国家の権威を高めた
「直線的な計画道路の全国的な施行は7世紀中頃から後半に遡る」(「日本古代国家と計画道路」中村太一、吉川弘文館)と考えられています。この時代の直線的な計画道路は幅員も広く(主要道で幅12m)、実用性とともに、国家の威信を民衆に示す示威的な側面もあると言われています。
日本ではこの時代以降に直線的計画道路がつくられたのは近代になってからだと考えられています。
7世紀中頃から後半に遡る直線的な計画道路が全国に整備されたこと、花見川地峡にも花見川と平戸川の水運を結ぶ陸路としての直線道路が整備されたと考えることが可能です。
谷津が縦横にはしる下総台地においては、古代には、地形を利用した曲がりくねった道しかなかったのです。その時、台地上に登場した直線道路は、風景上目を見張る人工構造物であり、律令国家の権威・威信を大いに高めたものと考えます。

なお、このような直線状構造物や直線状境界が古代計画道路以外には成立しがたいことを証明すると、古代官道存在仮説の確からしさをより一層高めることができます。
次のような検討をすれば情報が集まると思います。

ア 小金牧に係る境界で距離の長い直線状のものがあるか、あればその成因検討。
→小金牧周辺野絵図の境界を分析すれば直線状の境界があるかどうかわかる。
小金牧周辺野絵図をざっと閲覧した限りでは花見川地峡の直線と同等あるいはそれ以上の直線は見当たりません。牧を形成する時代にあっては、その時までにつくられた各種の境を利用したのであって、計画的に線分を決めて牧範囲を設定したとは考えられません。
詳細検討は今後行うことが必要ですが、牧を設定するために新たに直線的境界を設けたことは無いと考えています。

千葉県文書館所蔵小金牧周辺野絵図(一部)の写真

イ 旧町村境界等で距離の長い直線状のものを探し、その成因検討
旧町村境界等で距離の長い直線状のものを探し、その成因検討をすれば、花見川地峡の古代官道存在仮説の確からしさを高める、あるいは確からしさを否定するような情報を得られるかもしれません。

2-3 二つの古墳を官道で結ぶことにより地元豪族に対する律令国家の支配性を示した

律令国家は、花見川水系豪族の祭祀施設(双子塚古墳)と平戸川水系(高津川水系)豪族の祭祀施設(高台南古墳)を官道で結ぶことにより、地元豪族の聖地を世俗空間に近づけ、地元豪族達より律令国家の権威の方が上位であることを道路政策において示したのだと思います。

2012.05.04記事「双子塚の境界機能 測量技術発達的特徴」を書いたころは、あたかも柏井村と横戸村が領地を確定する時に、村レベルで、古墳を利用して直線状境界を引いたと考えていましたが、それは間違っていたと思います。

つづく

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