2013年7月26日金曜日

高津に土塁(砦跡)新発見

古代官道跡を米軍空中写真でみる(その4
花見川地峡の自然史と交通の記憶 42

3-6 D調査区
D調査区としたところは高台南古墳から高津川低地までの交通ルートです。

柏井・高津古代官道は高台南古墳・双子塚古墳・広幅員直線道路の3つの部品からなる巨大土木装置であると考えています。その装置の前後は必ずしも直線性道路をつくるなどの工夫はしていないと考えています。

米軍空中写真を実体視しても、高台南古墳から高津川低地までの交通ルートを示唆するような地物等は見つかりませんでした。

従って、できるだけ緩斜面を通り、短い距離で高津川低地にいたるルートを想定すれば、それが古代の交通ルートである可能性が高いと考えました。

次の図には地形の概略を書き込みました。
この地形から、現在のゴルフ場と柏井小学校の間を通るところを通って高津川低地に降りるルートが最も合理的であると考えました。現在使われている道路も同じ場所で高津川低地に降ります。

D地区説明図

3-7 土塁(砦跡)の新発見
さて、突然ですが、土塁(砦跡)の新発見です。

現在の柏井小学校敷地の部分が、米軍空中写真では明らかに人工地形であり、土塁(砦跡)として認識できます。

土塁の上は細長い平面となっていて、その標高は1960年測量千葉市都市図では18.7mです。付近の低地の標高が78m程度、高台南古墳付近の台地面標高が23m程度です。

次のD地区付近の裸眼実体視資料で土塁(砦跡)を視認できます。

参考 D地区付近の裸眼実体視資料

土塁(砦跡)は芦太(アシダ)川沿いの河岸段丘(多分、立川面相当)上につくられ、位置的に高津川が平戸川に合流する付近を監視することができる要衝の地にあります。
また付近の台地から独立して存在し、崖と急斜面により立ち上がっているので、防御機能が万全です。

この土塁(砦跡)は千葉県埋蔵文化財地図等には収録されていません。「千葉市史史料編1原始古代中世」の「千葉市内遺跡分布図(Ⅷ)城・館・砦址」にも掲載されていません。

この付近は八千代市との市境であり、また本来は印旛沼水系の流域でもあることから、千葉市の歴史関係者が興味を持つところとならないため、もともとの調査が手薄であったのでしょう。

また、千葉市の歴史関係者が米軍空中写真を実体視して活用するということも、これまでなかったと考えられます。

現在の風景は次のようになっています。

グーグルアースによるD地区付近の風景(斜め写真風)

砦(柏井小学校敷地)と台地(ゴルフ場)の間に柏井・高津古代官道とつながる道路を通すことにより、関所的機能や軍事的機能がそこにあったことがしのばれます。

この砦が高津(古代直轄港湾)にかかわる時代のものであるかどうか、今後詳しく検討して行きます。

この砦がこの場所に高津(古代直轄港湾)が存在したことの決め手となるかもしれません。そうなれば、延喜式にでてくる高津馬牧の場所もここら辺(砦によって守られる領域)ということになります。

シナリオのないブログ運営ですが、泥縄的に情報が集まってきます。

つづく


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