2013年7月30日火曜日

高津土塁(砦跡)の地形

花見川地峡の自然史と交通の記憶 45

1 現在の地形
現在の地形を立体的に見てみました。
次のような地形段彩図をつくりました。

地形段彩図
1秒間隔の経緯線は立体感を増幅するためにこの時点から入れています。

3方向から眺めた現状の地形立体像を作成しました。

地形立体像1
赤く表示される周辺の台地より一段低い、青く表示される台地状の地形が、柏井小学校が乗っている場所です。この台地のような地形は学校建設のために土塁(砦)を掘削した人工平面です。

地形立体像2
土塁本体上部は学校建設のためにほぼ完全に除去されましたが、土塁下部の敷地形状は残っていて、土塁が高津川に向かって尖るように張り出している様子が観察できます。この部分は高津川がカーブする所で、その水衝部ですから、このような尖った地形はそれが人工地形であることを如実に示しています。
土塁が張り出した(尖っている)ところから手前が湾入部のようになっていますが、ここに高津(古代直轄港湾)があったものと想像しています。

地形立体像3
高津川に合流する芦太川の上流方向から眺めた画像です。
芦太川右岸に河岸段丘がありますが、それと土塁撤去跡の間に赤く表示されている尾根みたいな地形があります。
この尾根状の地形は高津土塁の一部で、土塁本体を防御する小土塁のように想像しています。またその尾根状の地形と土塁本体の間には凹地があり、水面を設けるなどの何らかの機能を有していたものと考えます。土塁本体の土はこの凹地から採ったものと考えます。

2 開発前の地形
次の図は現在の地図に地形断面図の位置を記入したものです。

地形断面図位置(現在の地図)

次の図は1960年測量千葉市都市図をGISにプロットし、そこに上記と同じ地形断面図位置を記入したものです。

地形断面図位置(1960年測量図)
1960年測量図(千葉市都市図)は千葉市立郷土博物館提供

次に上記二つの情報から、現代の地形断面図と開発前地形断面図を作成しました。

地形断面図

現在の地形は土塁本体の上部をそっくりそのまま削除してしまっていることが判ります。
同時に低地の部分では3mから4mの盛土が行われていることも確認できます。

この土塁の存在が判っていたならば、恐らく柏井小学校は別の場所に建てられ、この場所は史跡公園等として保存されたことと思います。

なお、千葉市営繕課等にヒアリングしたところ、土地造成前の調査等の経緯は不明であり、土地造成後の設計資料、ボーリング資料のみ存在することが判りました。


つづく

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