2013年8月23日金曜日

「杵隈(かしわい)=船着場」仮説の増補改訂

花見川地峡の自然史と交通の記憶 62

1 「杵隈(かしわい)=船着場」仮説の増補改訂
2013.08.14記事「杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見」と2013.08.14記事「杵隈(かしわい)のイメージ」で考察した船着場のイメージを増補改訂します。

増補改訂の理由は、最初に発見した土塁のうち、南側の土塁(関所機能を想定)が含まれる旧家屋敷が杵隈駅駅家(かしわいえきうまや)と判明したため、この駅家(うまや)機能と船着場機能を統合して捉えることが可能となったためです。

2 杵隈駅(かしわいえき)船着場のイメージ

杵隈駅(かしわいえき)船着場のイメージ

2-1 メイン船着場
駅家(うまや)の正面は花見川に向いていて、花見川にメインの船着場があったと考えることが自然です。浮嶋駅から舟で着た駅使は駅家前の花見川東岸にあった船着場で舟を降り、正面にあった門をくぐり駅家(うまや)の入り、出発する時は、駅家から直接橋を渡り、陸路高津へ向かったのだと思います。
メイン船着場は印旛沼堀割普請で失われています。

2-2 メイン船着場前の広場
メイン船着場前に広場があったものと考えます。

現在の地図に見る広場の想定
広場想定場所は黄色の部分
地図はDMデータ(千葉市提供)

2-3 サブ船着場、船溜まり
駅家(うまや)関係者専用のサブ船着場や船溜まりが後谷津にあったと考えられます。

この水面や船着場、船溜まりは軍事的役割(防衛的役割等)も果たしていたと考えられます。

2-4 後谷津を渡る橋
駅家(うまや)から陸路高津方面に出発するとき、後谷津を渡らなければなりませんが、ここに橋が架けれれていたと考えます。
後谷津の出口を狭めるようにつくられた土塁の一つの意味は橋を架ける際に橋の距離を短くするためにつくられた突堤(※)であったと考えます。

※谷津の両側に土の突堤を設け、木橋部分を短くした橋を土橋ともいいます。木橋を落とせば防衛上の機能を発揮できます。

突堤の幅は十分に広く(40mくらい)、したがって、橋の幅も広く、また道も広かったことが判ります。(橋及び道の幅員は10m以上を想定しています。)

広幅員の木橋は律令国家の威信を誇示していたものと考えます。

谷津の両側から突堤を出すことによって水面環境をつくりだし、ここに船溜まりとサブの船着場を設けていたものと考えます。

後谷津を渡る橋は格好の関所機能を有していたものと考えます。


つづく

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