2013年8月7日水曜日

古代東海道水運支路の直轄港湾、高津・志津・公津

花見川地峡の自然史と交通の記憶 52

高津(たかつ)の他、古代東海道水運支路には志津(しづ)、公津(こうづ)という直轄港湾もあったと考えますので、現在のその見立てを記録しておきます。(2013.08.06記事「律令国家兵部省の高津馬牧への植民ルート」参照)

1 志津
現在地名としての志津は佐倉市に上志津、下志津という字名で残っています。印旛沼から4㎞程度内陸に入りこんでいるため、この地名を「津」(古代直轄港湾)に関連した地名であるという説は存在しないようです。(佐倉地名研究会著「多輪免喜第5号志津の地名」等を参照した結果による)

私の見立てを結論として記述すると、次のようになります。
●志津(という古代の軍事直轄港湾施設)が先崎(まっさき)付近に存在した。
先崎城跡(城館跡、中近世)付近が地形的に志津のあった場所であると見立てます。
●志津を軍事拠点として香取の海からの外敵侵入を阻止した上で、そこに流入する河川流域を植民した。その植民場所を志津(広域地名)と称した。(高津と同じ命名法)
●後世に志津(古代軍事直轄港湾施設)の意味が忘れられてしまい、施設のあった場所の地名から志津が消えた。(高津と同じ)
●広域地名としての志津も、一部地域にのみ残存して他の地域は新たな地名が付けられた。

なお、志津は市津から来ているものと考えます。津に市機能(商業的機能)を備えたことが特徴であったために、そのような名称になったものと考えます。

2 公津
公津は高津や志津とは異なり、港湾機能があったことが伝承として伝わってきています。
「公津村の項:古くは神津と書いた。地名は、式内社麻賀多神社のための港すなわち神津が印旛沼にあったことによるという。」(「千葉県地名大辞典」角川書店)
千葉県埋蔵文化財地図にも、「鷺山遺跡(公津)」(城館跡、古代(古墳)、中世)が記載されていて、古代直轄港湾施設に関連する遺跡であると考えます。

3 高津、志津、公津
高津、志津、公津の位置関係を示すと次のようになります。

古代東海道水運支路の3つの津(古代直轄港湾)(仮説)
基図は「千葉県地名変遷総覧附録 千葉県郷名分布図」

駅家と津、津と津の距離は概略次の通りとなります。

浮嶋-高津 約9㎞(陸路 柏井・高津古代官道約2㎞を含む)
高津-志津 約14
志津-公津 約15

公津からさらに北上して流海に出た付近に津あるいは水駅があるはずですが、その検討は後日にすることとします。

つづく

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