2014年3月25日火曜日

花見川地峡の成立自然史と利用・開発史

花見川流域という地域限定から離れて、花見川地峡という視点に移動してみると、これまで散歩で興味を深め、思考し、情報をあつめた様々なバラバラな事項を一つのストーリーで語ることができるようになりました。

次に、そのストーリーの目次をメモします。

●花見川地峡の成立自然史と利用・開発史
1 花見川地峡成立の自然史
1-1 原始河川
1-2 印旛沼筋河川争奪
1-3 花見川河川争奪

2 花見川地峡の利用・開発史
2-1 縄文弥生時代の交通
2-2 律令国家の直線道路、東海道水運支路
2-3 牧・野の境界
2-4 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請
2-5 明治~戦前期の陸軍演習場
2-6 本土決戦における抵抗ライン
2-7 戦後印旛沼開発

【解説】
・人が花見川地峡の存在に気がついて利用・開発する前に、花見川地峡が成立する地学現象がありました。
その花見川地峡成立の自然史(地史)を前半で語ります。後半で人が花見川地峡を利用・開発した歴史を語ります。
・「1 花見川地峡成立の自然史」では大きく3段階に分けて語ります。
・「1-1 原始河川」では離水した北総台地に古平戸川と鹿島川の二つの河川が利根川の方向に別々に流れていた原初期の状況を語ります。
・「1-2 印旛沼筋河川争奪」では古平戸川が手賀沼付近の地殻変動により堰き止められ、次いで鹿島川により河川争奪される状況を語ります。
・「1-3 花見川河川争奪」では東京湾水系により古平戸川の支流古柏井川が争奪され(自然河川としての)花見川水系と花見川地峡が成立する状況を語ります。
アーカイブブログ「花見川流域資料1下総台地の地形発達史」参照
サイト「花見川流域の小崖地形」参照

・「2 花見川地峡の利用・開発史」では7つの興味ある利用・開発史を語ります。
・「2-1 縄文弥生時代の交通」では貝塚分布など考古学的情報を使って縄文弥生時代の花見川地峡の交通を語ります。
・「2-2 律令国家の直線道路、東海道水運支路」では花見川ー柏井から高津までの直線道路ー平戸川という花見川地峡を巧みに利用した律令国家時代の東海道水運支路について語ります。
・「2-3 牧・野の境界」では牧・野の境界として花見川地峡が機能した様子を語ります。
・「2-4 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請」では花見川地峡を活用した印旛沼堀割普請の様子を語ります。
・「2-5 明治~戦前期の陸軍演習場」では花見川地峡が2つの陸軍演習場を区分していた状況を語ります。
・「2-6 本土決戦における抵抗ライン」では、花見川地峡が本土決戦における一つの抵抗ラインとして計画されていた状況を語ります。
・「2-7 戦後印旛沼開発」では戦後印旛沼開発で花見川地峡を利用した様子を語ります。
サイト「花見川地峡の自然史と交通の記憶」参照

このストーリーにより、私が貯めたメモと仮説を取りまとめます。
つまり、「花見川地峡の成立自然史と利用・開発史」をメモ・仮説集として取りまとめる算段です。

花見川の風景

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