2014年4月15日火曜日

河川争奪があるという素朴な直感と先行記述の存在

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その1

「第1部 現代から縄文海進まで遡る」を前記事で切り上げ、「第2部 花見川河川争奪に遡る」に入ります。

第2部では次のような記事を予定しています。
1 河川争奪があるという素朴な直感と先行記述の存在 (この記事)
2 河川争奪存在の証拠
3 河川争奪のタイプ
4 河川争奪発生の原因
5 河川争奪発生前後の自然史

縄文海進時に花見川地峡が成立することになった主因は、花見川河川争奪が既にこの地にあったためです。



※      ※      ※

時間的余裕が生まれだした2010年から、たまたま自宅がその流域の重心付近にある花見川に興味が向き、花見川流域を歩きだしました。

歩くために地図もよく見ました。

GPSロガーを持参して歩き、歩いた軌跡をGISで表現して自己満足したりしました。

そうした活動を始めていたある時、花見川に河川争奪現象があることに、殆ど抵抗感なく気がつきました。

河川争奪という自然事象について学習したことがある人なら、花見川の地図を見て、だれでも河川争奪があるようだと直感すると思います。

2011年1月15日にブログ「花見川流域を歩く」をスタートさせたのですが、1月28日には早速2011.01.28記事「花見川上流紀行10 河川争奪の見立て」を書いています。

参考までにこの記事をそのまま掲載します。

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花見川上流紀行 10河川争奪の見立て
河川争奪前の水系想像
河川争奪後の水系

 もともと花見川団地付近を源流とする水系(柏井の谷津)、花島公園の谷津を源流とする水系、柏井浄水場付近を源流とする水系の3つが柏井橋付近で合流して印旛沼方向に流れる水系があったと考えます。

この河川を仮に古柏井川と呼ぶことにします。

一方、東京湾方向に流れていた古花見川の最上流部の頭部侵食力が旺盛になり(おそらく海面低下や低温化に起因)、花島公園の谷津はおろか、二つの支流をも争奪し、さらに横戸台南端(「高台」と呼ばれる場所)付近まで古柏井川谷底を奪ったのだと思います。

結果として、古柏井川は流域面積のほとんどを取られ、そこに流れる水の量と較べると著しく大きな空堀みたいな広い谷が下流の一部に残ったのだと思います。

 後世になり、人々が印旛沼干拓を課題とした時、願ってもいない大きな空堀みたいな谷があり、それは「高台」で突然花見川によって下からちょん切られている光景をみて、堀割普請の意欲が大いに湧いたのだと思います。

 堀割普請で難渋した化灯土も、こうした地形発達を想定すると、その成因や分布が合理的に説明できそうです。

 河川争奪箇所だったから堀割普請が行われたという仮説については、現場をくまなく散歩してみたり、情報を集めて分析し、今後検証していきたいと思います。
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この記事の図版は、まだ詳細な地形情報(5mメッシュ情報)を持っていなかったので、また小崖地形など褶曲変動地形に関する調査もしていなかったので、正確性は無いのですが、イメージとしての河川争奪を伝えることは出来ていると思います。

花島付近や花見川団地付近や柏井浄水場付近を源流域とする谷津がもともとは印旛沼方向に流れていて(古柏井川)、その河道が東京湾水系によって争奪されたというイメージです。

このイメージを持つと、上流域を失った古柏井川の谷津が空堀のように残ったことになります。

その空堀のような谷津があったからこそ、この場で印旛沼堀割普請が行われたと考えることができます。

自然史と社会の歴史が結びつきますから、河川争奪検討の意義が強まります。同時に河川争奪の見立ての尤もらしさも社会の歴史サイドから補強されます。

このような思考をしていた時、既にこの河川争奪に先行記述が存在していることに気がつきました。

2011.03.07記事「花見川中流紀行17 河川争奪に関する先行記述」で次のような報告をしました。

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花見川中流紀行 17河川争奪に関する先行記述

(略)
最近WEBで情報検索していることをきっかけにして、白鳥孝治「印旛沼落堀難工事現場の地理地質的特徴」(印旛沼-自然と文化-第5号、1998.11 財団法人印旛沼環境基金発行)という文献に花見川河川争奪の記載があることを知りました。

 この文献による、河川争奪の記載の要旨は次の通りです。

 谷が深いか浅いか、印旛沼の方向を向いているかそれとも東京湾の方向をむいているかということから、「少なくとも花島、柏井の枝谷津が形成された時代の初期河川は、印旛沼方向に流れていたと考えられる。

したがって、花島付近の花見川は、ある時代に流れの方向を北流する印旛沼方向から南流する東京湾方向へ逆転させたことになる。」「この河川争奪を起こす原因に、次の二つが考えられる。」として地盤隆起と東京湾水系の侵食力の強さを上げています。

さらに、「隣接する数本の谷津のうち、花島を通る花見川だけが分水界を越えて北上した理由は、ここが弱い沈降帯であったためではなかろうか」として、常総粘土層の高度分布のデータを引用しています。
(略)
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花見川河川争奪について先行記述があることを知って、その現象存在について一層確信を深めるとともに、その現象がなぜ生じたのかという理由検討に興味が移行しました。


参考 河川争奪についてより正確に表現すると次のようになります。

花見川付近の自然地形

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