2014年4月17日木曜日

東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の分水界はどこか?

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その2

ア 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の分水界が正確に調べられたことはない
花見川河川争奪の証拠を示したいのですが、その前提として、東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界(特に花見川筋の分水界)を正確に知る必要があります。

ところが、現在では、江戸川時代の印旛沼堀割普請と戦後印旛沼開発により印旛沼水系と東京湾水系がつながってしまっています。

従って現在の地図から本来の印旛沼水系と東京湾水系の境を明らかにすることはできません。

いろいろ調べたのですが、これまで正確に東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界、具体的には花見川筋の分水界が誰かによって調べられたことはないようです。

これでは花見川に河川争奪が存在したという検討の出発点に到達できません。

そこで、すこし回りくどいことになりますが、河川争奪検討の前段階として東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の本来の(自然地形としての)分水界がどこであるのか、検討します。

イ 東京湾水系花見川の源頭部谷津分布を示す資料
幸い、現存している絵図で印旛沼堀割普請前の印旛沼水系と東京湾水系の境が明らかになっていますので、まずそれを示します。

小金牧周辺野絵図(千葉県文書館所蔵) 柏井付近
小金牧周辺野絵図は17世紀中葉の作と考えられていて、印旛沼堀割普請前の状況を示しています。

この絵図の水田分布から東京湾水系花見川の谷津は柏井の境付近まで分布していて、ここが花見川水系の源頭部であったことがわかります。
なお、この絵図の柏井内野の直線状境界線が現在の町丁目界線と対応することから花見川水系源頭部の位置はかなり正確に推測できます。

この絵図の水田分布つまり花見川谷津谷底の分布を現代地図にプロットすると次のようになります。

小金牧周辺野絵図から知ることのできる東京湾水系花見川の源頭部谷津分布

ウ 印旛沼水系河川の谷津分布を示す地形資料
次に付近の現在の地形を地形段彩図でみてみます。

現在地形の地形段彩図

現在地形として、印旛沼堀割普請の捨土土手を乗せている河岸段丘のように見える細長い平坦地形が、台地(下総下位面)を削って、現在の花見川堀割の両岸に分布しています。

この平坦地形は現地調査により勝田川筋に発達する千葉段丘に連続していることを確認しています。

つまりこの地形面は印旛沼水系河川の谷津谷底の断片です。

現在地形から知ることのできる印旛沼水系谷津地形

この印旛沼水系河川の谷津地形はこれまで誰によっても発見されたことが無かった地形です。このブログにおける新発見の地形です。

これまで発見されなかった理由は、その上に印旛沼堀割普請の捨土土手が乗っているため、平坦面を堀割部から見ることができないため地学関係者や歴史関係者に見過ごされてきたものと考えます。

エ 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の分水界の位置
これで東京湾水系花見川の谷津地形と印旛沼水系河川の谷津地形の存在を地図上で確認できました。

従って、東京湾水系と印旛沼水系の分水界の位置がしっかりと確定しました。

しかも、分水界は谷津と谷津が正面からつながる分水界、つまり谷中分水界であることが判明しました。

東京湾水系と印旛沼水系の分水界の位置

オ 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界
花見川筋での分水界の位置が判れば、地形図を使って東京湾水系河川と印旛沼水系河川の流域界を確定させることは困難ではありません。

東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界

ようやくこれで、花見川河川争奪について検討するための基礎固めができました。

引き続いて、花見川河川争奪が存在している証拠を示します。

つづく

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