2014年5月19日月曜日

印旛沼筋河川争奪の成因モデル

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その8

2014.05.18記事「地殻変動による利根川出口の閉塞」で示した河川争奪の様子を利根川出口付近だけでなく、印旛沼筋全体で表現してみました。
印旛沼筋河川争奪の成因モデルの最初のバージョンです。

1 下総下位面出来た最初期の様子

下総下位面が出来た最初期の様子
古平戸川、鹿島川はそれぞれ別の河川として利根川平野に流下していました。この頃は平坦な氾濫原が下総下位面全体の地形であったと考えます。

2 地殻変動が生じた頃の様子

地殻変動が生じた頃の様子
地殻変動が生じ様々な地形変化が生じたのですが、その一つとして古平戸川の平野出口を塞ぐ隆起帯ができました。そのため古平戸川流域は利根川の営力の影響をうけなくなりなりました。一方利根川は下方浸食により河床低下が進み、鹿島川の谷津にも谷底平野ができました。

3 河川争奪(河道逆行争奪)が生じた頃の様子

河川争奪(河道逆行争奪)が生じた頃の様子
古平戸川の河床は低下しないのに、鹿島川の河床は低下し、その差が大きくなりました。その河床高度の差は侵蝕力の差となり、二つの流域が接する場所で河川争奪が生じたと考えます。

鹿島川の頭方侵蝕により古平戸川の河床(氾濫原)が争奪されていきました。この時、古平戸川の河床(氾濫原)の澪筋を中心とする場所が侵蝕されていきましたから、古平戸川には河床(氾濫原)とそれを侵蝕した谷底の二つの地形面が残りました。

この関係を模式的地形断面図で表現すると次のようになります。

河川争奪(河道逆行争奪)の頃の地形模式断面図

このような印旛沼筋河川争奪モデル(大局的な視点からのモデル=仮説)はこれまでの観察結果(データ)に基づいて作成しました。
今後(後日)、その詳細な説明(証明)をしていきたいと思います。


1000記事というキリの良い記事数に向けて一人カウントダウンを楽しんでいます。

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