2014年6月4日水曜日

印旛沼筋河川争奪成因モデルのバージョンアップ

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その9

2週間ぶりにこのシリーズに戻ります。

2014.05.19記事「印旛沼筋河川争奪の成因モデル」のモデルについて、その後の調査に基づいてバージョンアップします。

モデルバージョンアップの要点は、下総下位面をA面とB面の2面に区分して認識した点にあります。
当初モデルでは古平戸川流域のみ下総下位面を2面に区分したのですが、バージョンアップモデルでは鹿島川流域も含めて下総下位面を2つに区分しました。

1 下総下位面が出来た最初期の様子(変更はありません)

下総下位面が出来た最初期の様子
古平戸川、鹿島川はそれぞれ別の河川として利根川平野に流下していました。この頃は平坦な氾濫原が下総下位面全体の地形であったと考えます。

2 地殻変動が生じた頃の様子(一部変更しました)

地殻変動が生じた頃の様子
地殻変動が生じ様々な地形変化が生じたのですが、その一つとして古平戸川の平野出口を塞ぐ隆起帯ができました。そのため古平戸川流域は利根川の営力の影響をうけなくなりなりました。一方利根川は下方侵蝕により河床低下が進み、鹿島川の氾濫原は河岸段丘と谷底平野の2つの地形面に変化しました。河岸段丘は下総下位面A面、谷底平野は下総下位面B面となります。
(鹿島川流域の下総下位面をA面とB面に分けて認識したことが変更点です。)

3 河川争奪(河道逆行争奪)が生じた頃の様子(一部変更しました)

河川争奪(河道逆行争奪)が生じた頃の様子
古平戸川の河床は出口を塞ぐ隆起帯が出来たために低下しないのに、鹿島川の河床は低下し、その差が大きくなりました。その河床高度の差は侵蝕力の差となり、二つの流域が接する場所で河川争奪が生じたと考えます。

鹿島川の頭方侵蝕により古平戸川の河床(氾濫原)が争奪されていきました。この時、古平戸川の河床(氾濫原)の澪筋を中心とする場所が侵蝕されていきましたから、古平戸川には河床(氾濫原)とそれを侵蝕した谷底の二つの地形面が残りました。
鹿島川流域と同じように河岸段丘(下総下位面A面)と谷底平野(下総下位面B面)がつくられたことになります。

この関係を模式的地形断面図で表現すると次のようになります。

河川争奪(河道逆行争奪)の頃の地形模式断面図

次の記事から、この印旛沼筋河川争奪モデル(大局的な視点からのモデル=仮説)をデータ(地形断面図等)で説明します。

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