2014年7月7日月曜日

下総台地の広域的地殻変動の学習 その1

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その7

このシリーズの「第4部 下総台地形成に遡る」では、最初に「下末吉海進期のバリアー島学習」に取り組みました。
その取り組みの中で、このシリーズでは次の事柄について検討したい(興味がある)ということが、自分自身で絞り込まれ自覚できるようになりました。

●「第4部 下総台地形成に遡る」で検討したい事柄
 下総上位面について次の3要素を詳しく知りたい。
ア 下総上位面が離水した当時の海岸地形を知る
イ 広域的な地殻変動の傾向と原因等について知る
ウ 局所的特徴的変動地形について整理分類してその成因や時期について知る

アについては「下末吉海進期バリアー島の学習1~6」の記事をこれまでアップしてきました。
「下総上位面は、わずかな勾配で広がっていた広大な海底が離水して形成された」という、ただそれだけの単純認識から、学習によりかなり具体的な離水時海岸地形について認識を深めることができました。

さらなる学習を続け、興味深いことが貯まれば記事にします。
とりあえずこれで一旦区切ります。

イについて、これから専門図書により学習した結果を記事にします。

ウについては、イの連載後に、次のような事象について、これまでこのブログで検討してきたことをより深め、集成したいと思います。
小崖(断層)、オタマジャクシ状凹地(沈降)、地溝、レーキ(沈降軸起因の水系パターン)、変動地形起因特殊侵蝕形 等

1 下総上位面にかかる広域的地殻変動を知るための視点
活曲動と活褶曲の2つの視点から下総下位面にかかる広域的地殻変動を知ることにします。

活曲動と活褶曲の定義は次の記述によることにします。
断層とちがって地盤がたち切られることになく、たわんだり、うねったりする変動を曲動とか褶曲とかいう。
曲動は一般に褶曲より大規模な、さしわたし数10㎞以上のたわみ上がり(曲隆)やたわみ下がり(曲降)をさし、褶曲は波長が10㎞前後以下の、細長くのびるものをいうのが普通である。」(貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説)

2 下総上位面にかかる活曲動
次の図は首都圏における活曲動・活褶曲の分布を示したものです。

首都圏における活曲動・活褶曲の分布
貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説 より引用

この図でS面段丘とは下末吉面段丘の略称で、すなわち下総上位面のことです。

S面(下総上位面)は関東平野でもっとも広い面積をしめ、また海成堆積面が広いから、その表面の等高線が示す凹凸は、S面形成後のおよその垂直変動パターンを示すものと考えられます。

S面(下総上位面)の現在の高度は、千葉県における分布域南端で標高130m超、関東平野中央の大宮台地で標高15mとなりその差が115m以上あります。

S面(下総上位面)が形成されて以降、関東造盆地運動と呼ばれる沈降があり、その中心は、4つの矢印で示されます。

4つの沈降部は、1東京湾造盆地運動の中心、2古河地区造盆地運動の中心、3荒川沈降帯、4秦野-横浜沈降帯の中央部です。
このうちはじめの2つが曲降運動と呼ぶにふさわしい形を持ちます。

大局的に見ると、平野中心部にこの2つの曲降運動(古河地区及び東京湾)を持つことにより、周辺部の隆起速度の方が速い平野全体が同心円状の徐々に隆起する運動があったと考えられます。

このような運動により、それまで東にも開いていた古東京湾が消滅し、現在の利根川上流域は、渡良瀬川とともに南流し東京湾に注ぐようになり、鬼怒川流域との間に低い分水界が成立したと考えられます。(なお、江戸時代の利根川東遷事業により、利根川そのものは再び東の太平洋に注ぐようになりました。)

参考 「首都圏における活曲動・活褶曲の分布」と地形段彩図とのオーバーレイ図
手持ちの5mメッシュにより地形段彩図を作成し、それに「首都圏における活曲動・活褶曲の分布」をオーバーレイしました。

つづいて活褶曲について学習します。

つづく

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