2014年7月27日日曜日

勝田高津レーキの検討

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その22

1 レーキ状水系網の発達仮説

レーキ状水系網の発達仮説を次のように考えています。

レーキ状水系網の発達仮説

注)「レーキ状水系網」「レーキ状水系パターン」という名称は、農具レーキ(熊手)の形状から類推して命名した仮称です。

レーキ状水系パターン

2 勝田高津レーキの検討

勝田高津レーキ付近の地形段彩図を次に示します。

勝田高津レーキ付近の地形段彩図

勝田高津レーキを形成した地殻変動(沈降)の様子をより詳しく知るために、上記地形段彩図のうち18mから25m未満の標高を黄色で塗りつぶしてみました。

勝田高津レーキ付近の補助地形段彩図(18m~25m未満を黄色で塗りつぶし)

この補助地形段彩図を使って地形を検討し、その結果を次に示しました。

勝田高津レーキを形成した地殻変動(沈降)のイメージ
基図は補助地形段彩図

Aの範囲がレーキ状水系網をつくった時にできた湖沼のイメージです。
Bの範囲は標高分布から地殻変動(沈降)が及んだと考えられる範囲です。東端の河川(上手繰川)はレーキに参加していません。

AとBを図化したことにより、勝田高津レーキのイメージをより具体的に捉えることができたと思います。

この結果を本来の地形段彩図上で表現すると次のようになります。

勝田高津レーキを形成した地殻変動(沈降)のイメージ
基図は地形段彩図

この図から、勝田高津レーキが出来た際の沈降部の前面(北側)に立ちはだかるべき隆起部(高所部)は現在地形として明瞭ではないことがわかります。

また、それは現在の新川(平戸川)付近で低く、南東方向に行くに従って高くなっています。

このような特徴から、勝田高津レーキの形成は主に沈降(向斜)によるもので、川の流れを遮る隆起は顕著でないような印象を持ちます。

Bの領域を流れる上手繰川は標高の高い台地を突っ切って流れていますから、この標高の高さは原始上手繰川が流れていたある時期以降に始まった地殻変動のよるものであることは確実です。

つまり、AやBの北側の土地の地殻変動は河川の流れを変えるほどのものではなかったことが証明されると思います。

結論として、勝田高津レーキは主に沈降運動(向斜運動)によってできたと考えることができると思います。

なお、この図を作成すると、勝田台オタマジャクシ状凹地がBの範囲に入ることになり、オタマジャクシ状凹地形成を類推する上で、一つの材料を得たと考えました。
勝田台オタマジャクシ状凹地の検討は別記事で行います。

参考 地形3D図

勝田高津レーキ付近の地形3D図
5メッシュを使い、地図太郎PLUS+カシミール3Dにより作成。垂直表現は水平表現の30倍。

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