2014年10月23日木曜日

趣味活動の健全性と創造性

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.3縄文弥生時代の交通>3.3.8趣味活動の健全性と創造性

前の記事(2014.10.22記事「知識習得の加速と石器似石表採の記憶復元」参照)で、趣味活動の健全性という言葉が自分の口から出ました。

この言葉からもう少し思考を展開しておきます。

前記事の趣味活動の健全性とは、図書とかWEBとかから得た情報をパソコン上のGIS等で操作することによって新たな情報を生み出すという趣味活動が、実体験-現場に根差さない観念的行為であり、空理空論に堕ちる可能性があるという心配から発想した、マイナス方向を向いた安全サイドからの思考(感情)です。

一方、プラス方向を向いた創造サイドからの思考(感情)も考えないと、自分の思考(感情)が跛行的になってしまいます。

考古歴史について、土器や石器など遺物現物を手に取って観察したりすることは大切です。主要な遺物はこれまで何回か実行したように収蔵施設を訪ねてできるだけ実物を見たいと思っています。
しかし、実際問題として自分が遺物現物について詳しい情報を手中に収め専門的な検討ができるようになる条件は限りなくゼロです。

趣味活動を空理空論に陥ることのないようにするだけでなく、意味のある充実発展を促進させるためには、自分の思考と考古歴史の現実・現場との間に何らかのインターフェイスが必要です。

思考と現実を結ぶインターフェイスが何であるか、それを考えると、それが地形であることが即座に思い出されます。

地形については、考古歴史とは別次元の興味対象としてこのブログでいろいろなテーマをすでに扱ってきています。千葉県北部の地形については多少の専門的知識を入手しています。地形的土地勘も養生されています。

一方、遺跡発掘場所の地形については、考古歴史関係者の間では専門的検討対象になっていないという感想を持っています。元来検討すべき対象のなかで地形が空き家(隙間)みたいになっています。

こうした状況、つまり、自分の強み-地形と考古歴史分野に生じている隙間がそろっているのですから、この地形をインタフェイスにして考古歴史分野の趣味活動を展開したいと考えます。

現実の地形観察は誰の手を煩わせることなく、いつでもどこでも自由に出向いて実行できます。一から学習する必要もありません。

地形といっても、いわゆる「地形学」の地形ではなく、原始古代人の活動場所としての現場地理的な地形をイメージしています。

現在の地形から原始・古代の地形を復元推定し、その地形が原始・古代人の生活環境としてどのように利用されたかということが、地形を扱う主な視点の一つのなると思います。

大冊図書の学習から石器似石表採を思い出し、それをきっかけにして自分の思考を少し発展させることができました。

考古歴史分野の趣味活動を展開する上で、自分のバックボーンを強化できました。


花見川の早朝風景

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