2014年10月12日日曜日

古墳時代交通路検討の視点

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.44古墳時代交通路検討の視点

古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)をツールに古墳時代交通路の検討を行いました。

なお、古墳時代になると個々の遺跡の意味や遺跡・出土物分布が前時代より明確になります。
また房総が房総だけで存在しているのではなく、関東地方の中での房総という社会構造が明確化します。
さらに、ヤマト王権の地域支配が進み、ヤマト王権の陸奥政策の中で房総の交通を考える必要があります。
このようなことから、房総限定ヒートマップだけから交通路推定を行う行為はその意義が虚弱になります。

そこで、ヒートマップを念頭において、交通路に関して考察すべき事項を抽出することとし、具体的交通路のイメージは後日実施予定の本検討で具体的遺跡情報等を踏まえて行うこととします。

なお、「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)で使われている概念「総武」と「常総」をキーワードとして使って検討しました。

参考 総武と常総をキーワードに使った古墳時代遺跡分布図例 (「東京湾沿岸と香取海沿岸の前期古墳」)
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)より引用

総武とは総の国(房総)と武蔵野の国を合わせた概念で、東京湾沿岸地域として捉えることができる地域です。
常総とは常陸の国と総の国(房総)を合わせた概念で、香取の海沿岸地域として捉えれることができる地域です。

古墳時代以降にあっては、房総単独で交通を考えることは出来なくなると考えます。

古墳時代交通に関して考察すべき事項を次に示します。

古墳時代交通に関して考察すべき事項

①総武内交通とは上総の遺跡密集地と東京、埼玉、神奈川などの遺跡との間にあった水上交通、及び上総内交通です。

②常総内交通とは下総の史蹟密集地と香取海北岸地域との間にあった水上交通、及び下総内交通です。

③総武-常総間交通とは上総と下総を結ぶ交通路、特に遺跡密集地間を結ぶ幹線交通路のことです。私はこの交通路に最大の興味を持っています。都川-鹿島川筋と花見川-平戸川筋の2本のルートに着目していて、その2つのルートの意義が時間とともに変化した様子を明らかにしたいと考えています。

④畿内-総武間ルートでは、特に三浦半島を越える箇所ににいて考察を深めたいと考えています。この場所に「船越」という地名があり、この地名から古代交通パターンについての検討を深めたいと考えています。

⑤畿内-常総間交通では房総半島を回る海路について、海人との関係について検討を深めたいと考えています。

⑥常総-陸奥間交通では、そもそも常総と陸奥との間でどのような交通があったのか、検討したいと考えています。鬼怒川を遡る内陸ルートと海岸沿いに北上する海上ルートが検討対象になると考えています。

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