2014年10月15日水曜日

平安時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.47平安時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

1 平安時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成
旧石器時代~奈良時代と同じ方法で平安時代遺跡密度図(ヒートマップ)を作成しました。
途中経過で作った擬似プロット図と最終成果のヒートマップを並べて示します。

平安時代 擬似プロット図とヒートマップ

2 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの比較
市区町村別遺跡密度図とヒートマップを対照して示すと次のようになります。

平安時代 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの対照
市区町村別遺跡密度図で得ることができる情報を、ヒートマップはさらに詳しく展開してより具体地理的に示しています。
二つの地図に比較から、市区町村別遺跡密度図から得られる情報が、使っている市区町村界が非整形、大小ばらばらにもかかわらず、思いのほか価値のある情報であると直感できます。

3 奈良時代と平安時代のヒートマップ比較
奈良時代と平安時代のヒートマップを対照すると次のようになります。

奈良時代と平安時代のヒートマップ比較

赤い目玉(遺跡高密度地域)の分布が根本的に変化していません。

奈良時代と平安時代は歴史書では必ず区分されますが、遺跡密度つまり当時の地域開発状況でみると一連の時代として見ることが出来るのだと思います。

古墳時代→奈良時代の比較ではヒートマップ分布が根本的に変化しましたから、それと比較すると房総の地域開発状況は奈良時代から平安時代にかけて安定的に推移したものと考えます。

奈良時代と平安時代の赤い目玉(遺跡高密度地域)の分布を詳細に見ると、佐倉-四街道-千葉にかけてのゾーンと長柄町付近の2箇所で平安時代に新たに生まれていることがわかります。

佐倉-四街道-千葉のゾーンは上総と下総・常陸を結ぶ幹線交通路沿いです。東海道の駅制による幹線本道は奈良時代末にはこのゾーンから離れ流山-我孫子を通るルートに変更になっているのですが、平安時代に佐倉-四街道-千葉のゾーンの地域開発が進んでいる状況は着目すべき特徴であると考えます。

駅制による東海道本道(幹線道)は高速通信連絡網としての意義が大きく、旧東海道本道(佐倉-四街道-千葉)は物資兵員輸送等で相変わらず大きな機能を有していたような印象を受けます。

長柄町付近の赤い目玉の意味は今後詳しく調べますが、スラグを出土する遺跡が多いので、鉄生産に関連して平安時代に新たに地域開発された場所である可能性を感じています。

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