2015年2月17日火曜日

上ノ台遺跡の生業と漁業活動

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上ノ台遺跡(集落)の生業の検討を始めます

1 上ノ台遺跡(集落)の生業リスト
上ノ台遺跡(集落)の生業として、次のような活動を考えています。

●想定される上ノ台遺跡(集落)の生業
1 米・雑穀生産(鎌、摘鎌等が検出されている)
1-1 水田(米や藁が検出されている)
1-2 雑穀栽培
2 機織
2-1 麻栽培(あるいは桑栽培)
2-2 機織(紡錘車が検出されている)
3 牧畜(牛骨が検出されている)
3-1 牛生産
3-2 乳製品生産(醍醐等)
4 狩猟(鹿骨、鉄鏃が検出されている)
5 漁業(貝層、魚骨、鉄釣針が検出されている)
6 石製模造品作成(石製模造品工房が検出されている)
7 鉄製品作成(鍛冶関連遺物が検出されている)
8 支配統治業務(上ノ台遺跡は前方後円墳のある東鉄砲塚古墳群対応していて、花見川・浜田川流域圏の統治拠点であったと推察している。)

現時点では稼ぐ力のあった生業(花見川・浜田川流域圏域外にいわば輸出できる物品のある産業)の可能性のあるものとして機織、牧畜、石製模造品工房が該当するのではないだろうかと空想しています。

この記事では生業としての漁業について検討します。

2 漁業
ア 貝層の分布と食料資源としての意義
次の図は貝層と魚骨出土の分布図です。

貝層と魚骨出土分布図

貝層は竪穴住居の覆土層中に堆積しているものですから、竪穴住居が廃滅した後その場所がゴミ捨て場として利用されたことを示しています。
検出された竪穴住居趾の分布に対応して、満遍なく分布しているように見えます。

報告書(「千葉・上ノ台遺跡(付篇)」)によれば、貝層と魚骨について次のような検討が行われています。
検出された貝は14種でハマグリとシオフキガイの出現頻度が圧倒的に高く、漁場は近くの東京湾北東岸である可能性が高い。
ハマグリが一度に捨てられた貝の量は小さく見積もられ、食糧資源での貝の占める割合は比較的小さかったと想像される。
ハマグリは5年以上を経た成熟貝の占める比率が非常に高い。本遺跡では捕獲圧の影響は認められない。

貝層の分布と報告書の記述から、貝は集落内でおかずとして利用されたもので、交易品等になることは無かったと考えます。

イ 魚骨の出土量
魚骨は4箇所からのみ検出されています。

魚骨出土が少ない理由について報告書ではもともと漁獲量がすくなかったか、あるいは魚の骨だけ別の場所に捨てか、2つの可能性を論じています。
貝層の分布が当時のゴミステーションを示していると考えると、魚の骨だけ別の場所に捨てたということは考えにくいことです。
したがって魚の漁獲量が少なかったのだと思います。

より正確に思考すれば、骨を食べないで残すような中~大型の魚(タイなど)の漁獲が少ないということであり、骨ごと食べる小型の魚(イワシなど)はある程度あったと考えます。

次のグラフは土錘の出土個数別住居趾数ですが、小型魚は漁獲していた傍証になります。

土錘の出土個数別にみた住居趾数
(2015.02.18 画像訂正)

土錘検出が1個の住居趾が最も多く、1個から5個までの出土住居趾数(119)は土錘出土全住居趾数(141)の84%にあたります。
土錘がどのように利用されたのか確かなことは不明ですが、釣りの錘、漁網の錘に使ったのだと思います。土錘1個出土の住居趾が多いことを考えると、釣りの錘に使った割合が高いと考えます。干潟の海で釣りをする場合、小型の魚しか採れないと思います。

また数個の土錘を漁網に付けた場合も、個人用の網であり、集団が使う網と考えることができませんから、採れる魚は小型のものに限られます。

このように、土錘の出土個数から、魚は小型魚しか採っていなかったと考えられます。

小型魚は骨ごと食べることが多いですし、あるいは肉を食べて残った骨を火で焼いて食べてしまい、骨が残ることは無かったと考えます。

ウ 出土金属製品における釣針の割合
次の図に出土金属製品分布と釣針出土地点を示しました。

出土金属製品分布と釣針出土地点

出土金属製品の中で釣針はわずか2点です。貴重な鉄を使う生業は漁業以外にあったことを示しています。

エ 上ノ台遺跡における漁業の意義
ア、イ、ウの検討から、上ノ台遺跡では漁業は稼ぐ生業ではなかったと考えることができます。

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