2015年3月9日月曜日

直道遺跡と居寒台遺跡の位置と概要

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.81 直道遺跡と居寒台遺跡の位置と概要

上ノ台遺跡の発掘調査報告書は大冊全6巻で体系的にとりまとめられていましたから、利用する方にとっては便利でした。

花見川河口拠点集落の遺跡である直道遺跡と居寒台遺跡の発掘調査報告書は全部で21冊にわかれていて、重複等もあり、内容理解の前に、報告書と遺跡調査区を対応させるという形式的把握が一大仕事です。

何とか形式的把握ができましたので、そこまでをまとめてみます。

1 直道遺跡と居寒台遺跡の位置

直道遺跡と居寒台遺跡の位置を地図で表すと次のようになります。

直道遺跡・居寒台遺跡の位置

居寒台遺跡の調査は昭和55年にスタートし、その後順次調査区を増やし、平成19年度報告書までの間に、いつの間にか直道遺跡を取り囲むような様相を呈しています。

この図に描かれているくくり線は居寒台遺跡の発掘調査報告書に描かれているもので、拠点集落が台地全体に拡がっている様相のイメージです。

2 直道遺跡と居寒台遺跡の概要
概要を知るために、遺跡調査区別に検出された竪穴住居址軒数と掘立柱建物址棟数をまとめてみました。

直道遺跡と居寒台遺跡の調査区

直道遺跡・居寒台遺跡で検出された古墳・奈良・平安時代の竪穴住居址及び掘立柱建物址の数

拠点集落が台地全体に拡がっているイメージのくくり線の内部(約15.6h)で、実際に発掘された面積は約13.5%ですから、この拠点集落の規模は上ノ台遺跡をはるかに上回る大きな規模であることは確かです。

特に掘立柱建物址の数が多く、単なる居住地ではなく、国家的意義のある軍事拠点・交通拠点であったことを物語っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿