2015年6月27日土曜日

古代遺跡名称に多く現れる「白幡」

地名「白幡」(白旗、白畑、白畠)(以下「白幡」等とします)は古代における秦氏の活動によって付けられたものが多いのではないかと想定しています。

古代遺跡の多くの場所に小字「白幡」等が随伴するような印象を持っています。(2015.02.08記事「古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏」参照)

そもそも古代遺跡名称に「白幡」等が含まれているものが多いように感じます。

この記事では、古代遺跡名称に「白幡」等が含まれているものの割合と、小字で「白幡」等が含まれるものの割合を算出して、その2つの数値を比較して、考察することにします。

遺跡名称はその発掘場所の小字名称を付けることが多いようですから、小字名称や遺跡名称に現れる特定のAAAという名称は、小字と遺跡の間に相関がなければ、平均的には次のような関係になると思います。

名称AAAを含む遺跡数の全遺跡数に対する割合=名称AAAを含む小字数の全小字数に対する割合

「白幡」等が遺跡名称と小字名称でどのような割合であるのか調べてみました。
その結果を次に示します。

小字と遺跡名称に「白幡」等を含むものの割合の比較

小字に関しては、千葉県全体の「白幡」等の割合は不明です。
花見川流域6市に関しては、0.22%です。

一方、全遺跡に関しては、千葉県全体の「白幡」等の割合は0.14%、花見川流域6市に関しては0.17%です。

全遺跡を対象に花見川流域6市についてみると、遺跡名称に「白幡」等が多く使われているという結果にはなりません。

次に、遺跡の時代を、旧石器時代と縄文時代のみの遺跡を除いて、弥生時代以降に限って比較してみました。

花見川流域6市の「白幡」等の割合は0.41%ですから、小字のそれより約2倍の数値になります。

古代遺跡は「好んで」「白幡」等の小字の場所に立地していると言えます。

名称に「白幡」等を含むものの割合の比較(花見川流域6市)

古代において新羅系渡来人の「秦氏」集団が鍛冶・妙見信仰・水運等の各種技術を持参して房総に入植し、その足取りが地名として残り、一方遺跡として発掘されるという仮説を支持する結果となりました。

千葉県全体の弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むもののリストは次の通りです。

千葉県における弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むもの

このリストを分布図にすると次のようになります。

千葉県における弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むものの分布
プロットはアドレスマッチングによる

分布の大半が下総国の領域にあります。

【考察】
●古代遺跡名称に「白幡」等を含むものが多いことから、「白幡」等の地名が古代における新羅系渡来人「秦氏」集団の活動場所であった可能性が強いと考えます。
●古代遺跡名称ではなく、古代遺跡にかかる領域内に「白幡」等の地名があるものの割合を調べれば、古代遺跡と「白幡」等地名との間にもっと強い相関があると予想します。その予想を将来検証したいと思います。

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このコンテンツは1週間程前に作成し、いつか記事としてアップしたいと考えていたストックですが、小字データベースの作成範囲が拡がり、データ内容が陳腐化してしまう恐れがありますので、とり急ぎアップすることにしました。
この記事のデータを小字データベース11市に拡大し、また検討の視点を新たに加え、改訂版記事を作成する予定です。(2015.06.27)

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