2015年8月23日日曜日

萱田遺跡群ゾーン別土器数

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.191 萱田遺跡群ゾーン別土器数

萱田遺跡群についてゾーン別に竪穴住居1軒あたり出土土器数の統計を作りました。

萱田遺跡群 ゾーン別竪穴住居1軒あたり出土土器数

この統計を分布図に表現してみます。

竪穴住居1軒あたり出土土器数

出土土器数の区分は上位8位まで赤、上位9位から17位まで緑、上位18位から25位まで青としました。

この分布図は以前作った金属製品出土数分布図と似ています。

参考 竪穴住居10軒あたり金属製品出土数
2015.08.05記事「萱田遺跡群の鉄製武器とそれ以外の金属製品の分布」参照

金属製品と土器の分布図で、井戸向遺跡、北海道遺跡、権現後遺跡では赤色のゾーンが同じになっています。

白幡前遺跡では金属製品は5ゾーンが赤色でしたが、土器は2ゾーンで少なくなっています。

金属製品の分布については次のように検討しました。「基地主要ゾーンの所有が多く、裕福と権力のあるものから順に金属製品を所持できる社会の仕組みがあったと考える。」「白幡前遺跡2Aゾーンは政治支配の拠点であり、寺院も存在する。このゾーンは現場生産活動に最も離れた場所であるから、金属製品出土が少ない。」

こうした金属製品の検討はほぼそのまま土器についてもいえると考えます。

土器も裕福と権力のあるものがより多く所持していたという一般傾向があると考えます。

また白幡前遺跡2Aゾーンの土器出土が少ない理由も金属製品と同じ理由であったと考えます。

2Aゾーンに存在した竪穴住居は寺院や中央貴族接待施設の活動をサポートする機能がメインであり、その竪穴住居に家族が定住していなかった可能性を感じます。

つまり、中央貴族が逗留する時はその世話のために竪穴住居を使うけれど、そうでない時は最低限の管理人しか居住していなかった可能性を感じます。

金属製品や土器の出土が少ないのは、竪穴住居における生活実体が少なかったからだと考えます 。

白幡前遺跡全体で金属製品は特段に多いのに、土器は金属製品のように飛びぬけて多くはない理由は次のように考えます。

金属製品と比べて土器は入手が容易であるため、その所持がステータスを証明するようなものとしたは迫力不足によるものであると考えます。
白幡前遺跡では必要な土器は既に飽和していて、さらに土器をより多数所持したいという状況は存在しなかったのだと思います。

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