2015年9月13日日曜日

鳴神山遺跡の竪穴住居1軒あたり墨書土器数

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.203 鳴神山遺跡の竪穴住居1軒あたり墨書土器数

鳴神山遺跡の竪穴住居1軒あたり墨書土器数を算出して萱田遺跡群と比較してみました。

鳴神山遺跡と萱田遺跡群遺跡の竪穴住居1軒あたり墨書土器数。

竪穴住居1軒あたり墨書土器数

参考 竪穴住居1軒あたり墨書土器数グラフの分布

萱田遺跡群の白幡前遺跡、井戸向遺跡、権現後遺跡と比べておよそ2倍近くの値となっています。極めて特徴的な情報となっています。

竪穴住居1軒あたり墨書土器数が大きいということの意味はこれまで次のように考えてきています。
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墨書土器がはやった頃の住宅は、極一部の支配層トップを除いて、官人を含めてほとんど全員が竪穴住居に居住していたと想定してみます。

そうした想定をしてみると、墨書土器数/竪穴住居跡数という数値は、墨書土器を使った階層の人々の竪穴住居1軒あたりの居住人数に比例する指標になる可能性があります。

あるいは竪穴住居に居住する人数を一定と考えると、竪穴住居に居住した人々の転居率(利用回転数)に比例する指標になるかもしれません。

さらには、1人の人間がかかわるプロジェクト(物件)が次々と立ち上がることにより、1人の人間が複数の墨書土器を使ったのかもしれません。

どのように考えるにしても、墨書土器数/竪穴住居跡数という数値は墨書土器を使った階層の人々(官人及び官人に組織されてプロジェクトに従事する人びと)の人数の多さ、あるいは活動の活発さ(入れ替わり立ち替わり活動した異なる個人の延べ人数の多さ)(人々を組織するプロジェクトの開始-終了の期間の短縮性)に比例すると考えます。

ですから墨書土器数/竪穴住居跡数は単純な墨書土器出土数よりはるかに意味のある指標になります。
2015.06.11記事「墨書土器に関する新しい統計指標を考案する
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一言でいうと、竪穴住居1軒あたり墨書土器数という指標は組織活動のアクティビティの強度を示していると考えます。

つまり、鳴神山遺跡は銙帯出土状況や竪穴住居10軒あたり掘立柱建物棟数からみて近隣遺跡(集落)の配下にあったと考えられますが、組織活動アクティビティ強度という点から見ると、近隣で特段の指導性のある白幡前遺跡の倍近くあるという一種の異常情報の存在が見つかったということです。

これまで鳴神山遺跡は律令国家の成すプロジェクトの最前線の現場であると考えてきました。その考えは組織活動アクティビティ強度が白幡前遺跡の倍近くあるということでさらに首肯されました。

しかし、鳴神山遺跡がどのような種類のプロジェクトの最前線の現場であったのか、輸送業務がその一つであるとは思いますが、それで正答なのか、残念ながら現時点ではまだ確信を持てていません。

今後の検討で、近々鳴神山遺跡の特性が浮き彫りになると思います。

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