2015年11月4日水曜日

2回目の墨書土器閲覧

八千代市立郷土博物館にお願いして2回目の白幡前遺跡出土墨書土器現物閲覧が実現しました。

八千代市立郷土博物館のご好意に感謝します。

何回かに分けて閲覧した史料を紹介します。

閲覧させていただいた墨書土器史料

1 唐草模様のような墨書土器

唐草模様のような墨書土器

この模様は草の象形文字を植物の芽吹きをイメージして書いた(デザインした)墨書を、その趣旨を理解しないで真似て書いたものと判断しました。
詳しくは2015.11.01記事「メモ 萱採取集団の存在を暗示する墨書土器」をご覧ください。

参考 草の象形文字を墨書土器に書いた集団は有用資源の萱採取集団であた可能性がある

この現物を実際に手に取ってみて初めて、2015.11.01記事が書けました。

この唐草模様のようなものが、萱採取集団の祈願文字「草」であるのです。

古代人が草の象形文字を知っていて、それをデザインして作ったエンブレムなのです。

そして、漢字そのものの「草」、「草田」(カヤタ)などの出土を含めて総合的に勘案して、この付近では萱の需要と消費が多く、萱採取に専業的に従事する集団が存在したことを推定しました。

その推定そのものが、遺跡群の名称ともなっている現在の八千代市大字名「萱田」の地名由来であると考えました。

2 生の墨書土器

閲覧した「生」の墨書土器 1

閲覧した「生」の墨書土器 2

閲覧した「生堤」の墨書土器

白幡前遺跡では「生」文字が多数出土しています。「生」が白幡前遺跡の最多数出土文字です。代表文字です。

ですから、「生」の意味を検討することは大変重要であると考えます。

発掘調査報告書を含めて、「生」の意味について検討した文章はほとんど見かけません。

「生」の字形の時代変化とか、その出土分布などの検討はありますが、その意味についての記述にはお目にかかっていません。

このブログでは、萱田遺跡群が蝦夷戦争における最重要軍事・兵站基地として律令国家によって開発されたと考えること、墨書土器は基地活動(軍需物資生産・集積・輸送など)としての組織活動を行う際に、官人が労働層の啓発(やる気を出させる)のために活用したと考えることなどから、墨書土器文字の意味を推察しています。

「生」の意味は端的に言えば、蝦夷戦争に出征して、その戦場での白兵戦で敵を倒して、自分は生きることによって社会に貢献しようという趣旨の祈願語だと推定しました。

兵士の本分は(必要ならば)相手を殺して自分は生きることであるという律令国家の指導があったものと考えました。

律令国家時代の人の生命価値(社会的価値)は現代などと比べて比較にならないほど高かったものと考えます。

「生」はあくまでも祈願語であり、組織活動におけるスローガンを1文字にしたものであると考えます。

「生」は氏族「大生直」一族の「生」ではないかなどの検討もあるようですが、氏族名とか地名とかが1文字の墨書土器にストレートで書かれることはあり得ないことだと思います。

支配氏族名とか地名などを墨書土器に書かせても、労働層を動員して働かせることはできないと考えます。

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