2016年3月21日月曜日

船尾白幡遺跡 紡錘車

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.309 船尾白幡遺跡 紡錘車

1 遺物記述のためのゾーン設定

船尾白幡遺跡付近の状況を次に示します。

船尾白幡遺跡付近の状況

船尾白幡遺跡の学習では、古代印旛沼との関係、古墳時代から継続している居住地域(その象徴が宗像神社)、近隣遺跡(鳴神山遺跡、西根遺跡等)との関連がどのようなものであったのか、その把握を絶えず行いたいと思います。

同時に、船尾白幡遺跡の出土物等の検討を行う場合、空間的記述を行うために手がかりとなる適当なものがないので、このブログでは次のようなゾーン設定をしました。

船尾白幡遺跡記述のためのゾーン設定

このゾーンはあくまでも記述する際の大ざっぱな位置関係を明らかにするものであり、考古における意味を持たせたものではありません。

2 紡錘車出土状況

紡錘車出土情報を整理してみました。

船尾白幡遺跡から紡錘車は全部で13出土しています。全て石製か土製です。鉄製紡錘車は出土していません。

紡錘車の出土遺構は次の通りです。

船尾白幡遺跡紡錘車出土状況

C、D、E、Fゾーンから出土していますが、Fゾーンでは竪穴住居軒数の多さに比べて出土数が1であり低調です。

紡錘車は遺跡から満遍なく出土しているというより、Dゾーンを中心にその周辺を含めて、偏って出土しているように観察できます。

紡錘車の出土遺構の年代は次の通りです。

船尾白幡遺跡 紡錘車出土数

紡錘車出土遺構の内、掘立柱建物分(紡錘車出土数1)は年代が不明であるので、このグラフには含まれていません。

紡錘車出土年代は9世紀(蝦夷戦争後の経済発展期)に強く偏っていて、8世紀後葉~9世紀初頭分は1つだけです。

蝦夷戦争の準備や蝦夷戦争時代には船尾白幡遺跡では紡錘車を使った活動、つまり麻か絹の製糸活動は大変低調だったと考えます。

麻とか絹ではない別の生産活動(あるいはサービス)が生業のメインだったと想定します。おそらく今後他の遺物を検討していけばそれが何であるか判明すると思います。

次に船尾白幡遺跡の紡錘車出土数がどのような意味を持つか、近隣遺跡と比較して考察してみました。

遺跡別紡錘車出土数

遺跡別竪穴住居100軒当たり紡錘車出土数

近隣遺跡と比べて、紡錘車出土数は多いものではありませんが、竪穴住居100軒当たり紡錘車出土数という指数の比較をすると、船尾白幡遺跡は数値が最も高くなります。

船尾白幡遺跡は近隣遺跡と比較すると、紡錘車を使った活動が大変濃かった(活発であった)ということができます。

船尾白幡遺跡の生業のメインが紡錘車を使った製糸活動である可能性も考慮する必要があるようです。

そして、その活動が活発であった時期は9世紀第1四半期~第3四半期頃ということです。

蝦夷戦争後の経済が大発展した時期に、船尾白幡遺跡の紡錘車活動は近隣遺跡の中で相対的に秀でていた可能性があります。

3 参考 紡錘車活動と小字名白幡
このブログでは地名に興味を持ち、これまで白幡という地名について何度も検討してきました。
2015.06.27記事「古代遺跡名称に多く現れる「白幡」」など多数

船尾白幡遺跡域にも小字名白幡が存在し、「どうも紡錘車出土と小字名白幡が関係しそうだ」という感触を持ちましたので、メモしておきます。

白幡の詳細検討は千葉県小字データベースが完成しましたので、今後本格検討する予定です。

次に船尾白幡遺跡付近の小字名分布と白幡の位置を示します。

船尾白幡遺跡付近の小字名 白幡
出典:印西町字界図(昭和63年9月)平成13年4月印西市総務部資産税課復刻

今後小字名白幡について次のような観点から検討する予定です。

・白幡は古代地名であるか?
(地名白幡に、その後の時代に別の意味(例 源氏の白旗)が付与されたものもあります。このブログでは、後世に付与された意味ではなく、その地名が発生した時代を突き止めます。)

・白幡の意味は次のどれであるか?
ア 白(シラ)・・・新羅、幡(ハタ)・・・秦氏、つまり渡来系住民の居住地を示す。
イ 白(シラ)・・・「オシラサマ」のシラと同じであり原義は繭の白さ、幡(ハタ)は機(ハタ)であり織物機械、つまり絹製品生産地を示す。
ウ アに関連してハイテク技術(製鉄など)の存在を示す。
エ 上記以外

これまで、このブログでは上記アに興味を持っていたのです、千葉県小字データベースが完成して、情報が増えると、どうもイが正解らしいということになってきました。

イが正解とすると、船尾白幡遺跡は小字名白幡の意味解明のための1つの根拠になると思います。

次の図は船尾白幡遺跡の紡錘車出土状況と小字名白幡の情報を示したものです。

船尾白幡遺跡の紡錘車出土と小字名白幡

発掘区域と小字名白幡があまり対応していないという制約はありますが、紡錘車出土状況と小字名白幡の関係を暗示するだけの情報になります。

紡錘車で紡いでいた糸が絹糸であった可能性を今後検討します。

ただ、鉄製紡錘車が1つも出土しない点が気になります。
このような関係は白幡前遺跡(八千代市)ではもっと明確に把握できそうですが、白幡前遺跡では多数の鉄製紡錘車が出土します。

地名の由来検討に考古発掘資料を活用するということも有りうることになるかもしれません。



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