2016年4月6日水曜日

参考 千葉県における漆関連墨書文字分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.324 参考 千葉県における漆関連墨書文字分布

「七」が「シチ」であり、漆(シチ、うるし)であることがわかりました。また「知」を「シル」と読み、汁(シル)であることと、「益」(エキ)が液(エキ)であることもわかりました。

そこで、墨書文字「七」「知」「益」を千葉県墨書土器データベースから検索してみました。

他の文字と組み合わさると別の意味になる可能性が強いので、ここでは機械的に単独出土のものを対象としました。

次にそのリストを掲載します。

千葉県における墨書文字「七」「知」「益」の出土状況

30の遺跡から漆関係と考えられる墨書文字が出土しています。

船尾白幡遺跡からは「七」と「知」が出土していますので、漆業務活動が濃厚であると予想できます。今後遺物情報を精査します。

また神山谷遺跡(横芝光町篠本)からは「七」「知」「益」が全て出土していますから、この遺跡も発掘調査報告書を精査すれば漆業務活動について豊かな情報を得られるに違いありません。

これらの30遺跡をGISにプロットしてみました。

墨書文字「七」「知」「益」出土遺跡分布

分布域が大変偏っていることが特徴的です。

大局的に観察すると、養蚕活動の指標と考えた墨書文字「子」「小」の出土状況と似ています。
2016.03.28記事「参考 千葉県における墨書文字「子」「小」(=蚕)出土遺跡」参照

その分布が下総国領域中心であり、上総国は太平洋岸のみしか分布しません。

8世紀、9世紀頃の漆業務活動はこの分布図にあるような場所で行われたのであって、その場所は新規開発地が多く、大規模産業開発地帯として国家から地域指定された場所(ゾーニングされた場所)であったと考えます。

参考に小字「ウルシ」(漆やウルシ、うるしなどを含む小字名)の分布図を作成していみました。

小字「ウルシ」(漆、ウルシ等)の分布

過去(原始・古代から近代までの間に漆業務活動が行われ、その記憶がその土地に伝わった場所の分布図であると考えます。

この図の詳細な検討はこの記事ではしませんが、おそらく中世・近世頃まで活動していた漆工房が存在した場所がメインであると考えます。

なお、その将来の検討が楽しみですが、小字「ウルシ」の分布は自然地理的(地形的)大勢と相関しているように見えます。自然採取活動としての特性がその分布を規制しているように推測します。

墨書文字「七」「知」「益」出土遺跡分布図と重なる場所もありますが、重ならない場所もあります。

実際に図を重ねると次のようになります。

墨書文字「七」「知」「益」出土遺跡の分布と小文字「ウルシ」の分布

墨書文字「七」「知」「益」は8世紀9世紀頃の国策で行われた大規模開発で漆業務活動が行われた場所であり、その内小字「ウルシ」と重ならない場所は中世になって漆業務が衰退した場所、重なる場所は中世以降も漆業務が継続した場所と考えておきます。

中世になって漆業務が衰退したと考える場所(漆関連墨書土器は出土するけれども小字「ウルシ」が分布しない場所)は、漆液体(汁液[知益])の採取が自然地理的条件から不利な場所であったように思えてなりません。

律令国家が新規開発地に計画的、一律的に漆工房をつくり業務を展開したけれども、その開発ブームが終わると、自然地理的不適地には漆工房は残ることができなかったのではないかと想像します。

墨書土器に文字「知益」とかいて漆汁液増産(さらには汁液を使った漆製品増産)を祈願した背景には。「知益」(汁液)を採取することがいかに大変であったかということを物語っているのではないかと考えます。

小字「ウルシ」だけの分布域は8世紀9世紀頃の組織活動(国家的プロジェクト)としての漆業務活動は存在しないけれども、その当時あるいは中世以降活動があった場所と考えておきます。

千葉県古代の漆業務活動の地理的イメージのたたき台を作ることができたと思います。

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墨書文字「七」「知」「益」の出土が「子」「小」とも似ていて、上総国の東京湾岸から全く出土していないことに、少し不安を感じました。

自分が利用しているデータベースに何かの間違いで上総国のデータが一部欠落しているのではないかと疑ったのです。

そこで、そのような疑問を確かめるために、例として文字「寺」を含む墨書土器出土状況図を作成してみました。

参考 文字「寺」を含む墨書土器出土状況

上総国東京湾岸から多数の墨書土器がプロットされます。

ですから、データベースに何かの間違いがあり、作成した分布図の偏りが無意味なものであるという事態が存在しないことを確かめることができました。

なお、上総国、さらに安房国はなおさら、もともと墨書土器の出土が少なく、組織活動が大変弱かったという特性は厳然として存在していて、それは最初から理解しています。







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