2016年6月12日日曜日

上代地名(倭名鈔)と現代地名

上代地名(倭名鈔)と現代地名に関する鏡味完二の検討を学習しました。

まず鏡味完二の検討を引用します。

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上代の地名(倭名鈔)と現在の地名の比較

今度は観方を変えて,昔と今の比較を行ってみる。

昔の地名として「倭名鈔」から求めたものを用いよう。

「倭名鈔」は今から1,000年余り前に著された文献であり,万葉仮名で地名の発音が示してあるから,古代の地名研究には重宝である。

それと現在の地名とを比較する場合に,各種の「倭名鈔」の地名のうち,個数は相当多くて,同時にその分布地域のはっきりした個性のあるものが適当である。

反対に広い地域に疎らに分布する地名は最も不適当である。

このような条件に合う地名として,余戸(Amarube)と神戸(Kambe,Kobe)と賀茂(Kamo)の3つをえらんだ。

余戸は最も減少した例,神戸は少し減つた例,賀茂は増加した例である。

余戸という地名は喜田博士によると,公民籍に漏れた者の総称として,「余り者」の義を以てよびならわしたものであるらしい。

余目,余部(Amabe),余戸の地名は,その賎民落伍者の集落であるとみるのである。

これに対して金沢博士は,孝徳天皇大化2年改新之詔中に,戸令に,凡戸以五十戸為里と定められその註釈として,「若満六十戸,割十戸立一里置長一人」とあるのを余戸と見るのである。

この両説を如何に見るべきかは,史家に委ねるとして,その何れにせよ,地名に佳字を用いる世の傾向からすれば,余戸は余りかんばしくない表記であったので,余吾などの文字に転ずる一方においては,この地名は改廃の運命を辿ったと思われる。

「倭名紗」に96郷あったこの地名が,余吾と淀を合せて53例の55%に減少している。

金沢博士によれば,YobeYokoの地名も同類であるとされるが,それらの地名は地図上に発見しえなかった。

余部 倭名鈔 現存


次に神戸(Kambe)の地名を調べてみよう。

コーベ(神戸)はカンベの詑りであり,それにKobeという別の意味の方言はないから,ここに一緒に考えて差支ないであろう。

Godo(神戸,川渡,顔戸,…)は別の意味をもった言葉だから文字は神戸でもとらない。

それはGodoに佳字の「神戸」を宛てたのであって,佳字「神戸」を平凡な「谷川」の意味のGodoの訓みにすることは,地名発達の逆コ一スであるから認め難い。

果せるかなGodoはKambeとは異り関東山地を中心に集団する別の分布型である。(地図篇Fig.77)

「倭名鈔」の地名55に対して,現在とり出しえたもの35で,66%の減少である。

神戸とはロ分田を耕作する丈けの民であり,律令制(大宝令701年,倭名鈔の著されたより凡そ100年前)の神戸の制に基き,国家を通じて神社に奉仕したものをいうのである。

神戸 倭名鈔 現存

参考 ゴード



以上AmarubeとKambeの例では,恐らく「5万分の1地形図」に洩れているのではなく,共に減少したのであろう。

最も多く減少したAmarubeの分布にあっても,分布の形態には大した変化がなかったことに注目される。

その西南日本の分布限界線は,多少の異動をしているが,東北限界線は完全に1,000年前と一致している。

紳戸の分布でも,山口県の「倭名鈔」の地名が無くなっている外は,分布地城と分布密度に大した変化はない。

この2例で明らかなように,「5万分の1地形図」で得た資料を以て,1,000年前の地名を論じても,殆んど大過のないことが解るであろう。



最後にKamoの地名をみよう。

KamoはKami(神)と同根であるが,地名としては鳥の名の鴨の意もあり,蒲生(Gamou)という地名もあるから,ここではいま加茂,賀茂と鴨部の地名のみをとることとした。

「倭名鈔」の地名は30に対して,「5万分の1地形図」112で,3.7倍の増加である。

加茂は文字も語義も立派であるから,好んで地名に用いられたらしく,また恐らく加茂神社の勧請によって,地名が広がっていったものであろう。

この両分布図を較べてみると,3.7倍の著るしい個数の増加にも拘らず,その分布の形態が維持されてきたこと,東北日本への地名の伝播が大きかったこと,特に出雲から伊予に至る,「倭名鈔」Kamo・Kamobeの地名の西方限界線が,そのまま今も存在していること,「倭名鈔」のこの地名の1つ1つの位置に,現在もなおその地名が殆んど対照的に認められることなどを見ると,「5万分の1地形図」が古代の地名研究に役立つこと,また地名の土地定着性の強いことを充分承認しうるのである。


賀茂 倭名鈔 現存

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(初版1957年)(東洋書林)から引用

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検討(感想)

1 全国レベルの倭名鈔地名検討文献の検索

鏡味完二の検討は60年前の検討です。

そのとき上記のような分布検討ができています。

その後の科学の進歩は著しいと考えますから、現在では倭名鈔地名のデータベースが構築され、あるいは誰かが作っていて、その空間的検討が進んでいると空想します。

素人なので、そのあたりの情報は全くないのですが、60年という歳月を考えると、そのように空想せざるをえません。

機会を見つけて、全国レベルでの倭名鈔地名の検討文献を検索してい見たいと思います。

2 倭名鈔地名データベースの入手

千葉県では倭名鈔の多数の版(異本)を検討して、郡・郷のリストを作成して、比定地の検討が行われています。(「千葉県の歴史 通史編 古代2」付録「古代房総三国の郡・郷・里の変遷と比定地一覧」)

現在この情報をGIS情報化しようとしてます。

この史料は地名に関わる史料を逐一リストアップしていて詳しいものです。

しかし、そのような詳しさではない、郡・郷名と比定地の概略程度の情報なら、全国レベルでつくられたものが必ずあるのではないかと想像します。

そのような全国レベルの倭名鈔地名リストを使って、鏡味完二と同じような問題意識で、検討が出来れば、大変興味深いことになります。

千葉県の古代地名(倭名鈔)を詳しく知るためには、倭名鈔による全国の古代地名情報が不可欠です。

万が一、倭名鈔地名の全国レベルリストが無ければ、自分で作りたいと思います。

3 地名の意味と残存しやすさの関係

鏡味完二の検討から、地域住民にとって好ましい意味・イメージの地名は残存しやすく、さらに拡散し、好ましくない意味・イメージの地名は残存しにくく、従って拡散も少ないということが判りました。

もし、全国レベルの倭名鈔地名データベースと現在地名データベースがあれば、特定の代表地名の検討ではなく、全地名について悉皆的に検討して、どのような意味・イメージの地名が残りやすいか、あるいは残りにくいかが、体系知識としてわかるようになると思います。

千葉県を対象にしたこの検討は既に可能です。

なお、この検討を深めていけば、地名が残存する要因として、単純な「好み」だけではない別のファクターについても思考を深めざるを得なくなると直観します。

地名というものが社会で果たす役割が浮かび上がるような気がします。


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