2016年7月29日金曜日

千葉県八千代市上谷遺跡の学習検討方針

遺跡文献の悉皆閲覧計画」(2015.01.18記事)の一環として千葉県八千代市上谷遺跡について、その発掘調査報告書の学習検討に着手します。

1 学習検討に使う報告書

学習検討対象発掘調査報告書は次の6冊です。

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第1分冊-」(2001、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第2分冊-」(2003、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第3分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第4分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第5分冊-」(2005、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第1分冊本文編-」(2005、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)

学習検討対象の発掘調査報告書

なお、第1分冊、第2分冊は貸出可能図書館がないため、必要部分をコピーして利用し、それ以外は八千代市立中央図書館の貸出サービスにより自宅で利用できます。

2 学習方針

近隣の遺跡について白幡前遺跡、井戸向遺跡、北海道遺跡、権現後遺跡、鳴神山遺跡、西根遺跡、船尾白幡遺跡の順番で学習してきて次のような点に興味を深めてきています。

●花見川-平戸川筋遺跡に関して深めている興味

ア 奈良・平安時代新規開発地が印旛浦に立地した理由(蝦夷戦争との関連、交通との関連)

イ 奈良・平安時代新規開発地の生業

ウ 奈良・平安時代の新規開発地が9世紀末頃に一斉に衰退、廃滅した理由

エ 墨書土器活動の新規開発地での意義(生業や「祭祀」からみた文字の意味等)

上谷遺跡学習ではこのような興味をさらに深める方向で学習したいと思います。

具体的な学習方針は次のように設定します。

●学習方針

ア 分析対象を奈良・平安時代の墨書土器及び土器以外の遺物等に絞って検討する

イ 遺構・遺物の具体情報を徹底してGISデータベース化してGIS空間上で分析検討する

ウ 既学習近隣遺跡との比較を検討の各段階で行い、奈良・平安時代新規開発地の特徴を考察する。

3 上谷遺跡の位置

現在の地図の上に上谷遺跡の位置をプロットすると次のような図になります。

上谷遺跡の位置

背景は地理院地図(標準地図・色別標高地図)

本来の地形の様子がよくわかるように旧版2万5千分の1地形図にプロットすると次のようになります。

上谷遺跡の位置

背景は旧版2万5千分の1地形図、地理院地図(色別標高地図)

上谷遺跡は印旛沼に注ぐ谷津沿いに存在し、その谷津の出口付近(保品)の沖積地から縄文時代の丸木舟が出土しています。

2011.08.10記事「縄文丸木舟と大賀ハス8」参照

また保品の東に須賀という砂洲の存在を示す地名があります。

これらの情報から、上谷遺跡から谷津を下った印旛浦は古代にあってもミナト機能が存在していたと想定できます。

つまり上谷遺跡は印旛浦水運と密接にかかわっていたことがわかります。

4 上谷遺跡の概要

上谷遺跡の奈良・平安時代遺構を整理すると次のようになります。

上谷遺跡 奈良・平安時代遺構

竪穴住居200軒に対して掘立柱建物194棟は大きな値であると考えます。

その理由についての検討を深める予定です。

船尾白幡遺跡では掘立柱建物を蚕小屋として利用していたことが判りましたが、上谷遺跡で掘立柱建物の利用についての情報や有力な推論が得られるか、検討が楽しみです。

参考として竪穴住居200軒の分布をプロットすると次のようになります。

上谷遺跡 地区区分と竪穴住居

なお、上谷遺跡の特徴として墨書土器出土数が千葉県下第2位であることがあげられます。

参考 千葉県墨書土器出土数上位遺跡リスト

参考 千葉県内墨書土器出土数上位遺跡

上谷遺跡の墨書土器データからどのような有益情報を引き出すことができるか楽しみです。

5 参考 第4分冊報告書でぶち当たっているGISデータベース化の障害

第4分冊報告書の遺構配置図は次の通りです。


第4分冊報告書の遺構配置図

第4分冊報告書遺構配置図では遺構番号が一切書かれていません。

文章中には遺構の場所がグリッド番号で書かれています。

しかし、遺構配置図にグリッドは全く書かれていません。

グリッドを想定してそれを遺構配置図に書き込むとある程度の遺構番号と地図上のものとの対応が判ります。

しかし、記載されているグリッド表記もいい加減で間違いが沢山あります。

それでも竪穴住居については、平面スケッチの形状と配置図での形状を対比させて、遺構番号を配置図になんとかふることができました。

上に掲載した「上谷遺跡 地区区分と竪穴住居」の竪穴住居分布はこのような大格闘の末に作ったものです。

一方掘立柱建物と土坑は現在お手上げ状態です。グリッド表記でたどることができません。

八千代市教育員会(八千代市遺跡調査会の母体)に遺構配置図と遺構番号の対応をとる方法があるかどうか、現在問い合わせ中です。









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