2016年8月9日火曜日

上谷遺跡 墨書文字「竹」の事前検討

上谷遺跡で3番目に出土数が多い墨書土器文字は「竹」です。

この記事では上谷遺跡出土墨書土器文字「竹」に関する事前予備検討を行います。


1 古代の竹に関する学習

現代社会における竹の意義と古代社会における竹の意義は根本的といっていいほど異なっているので、その面の学習を行いました。

次に『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』の竹の項の一部を引用します。

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【タケと人間】

[日本]

竹は,歳寒〘さいかん〙の三友〘さんゆう〙,すなわち,〈松竹梅〉の一つとして,日本では慶事に用いられるので,日本人と竹との密接なかかわりはよほど古い時代にまでさかのぼるかのように考えられがちであるが,その〈松竹梅〉の取合せが文献に登場するのは室町時代のことでしかなく,竹が庶民生活と離れがたく結びつくのもその時代以後のことである。

もちろん,竹は古代日本にも存在していた。竹の類を用いたと思われる遺物が発見されているし,マダケの日本自生説もある。しかし,古代の文献や古典において竹がどのように表現されているかをみる限りでは,竹はもっぱら貴族支配層によって占有され,賞美されていたものと考えざるをえない。

竹は記紀神話にはやばやと登場する。

《古事記》上巻,黄泉国〘よみのくに〙の段に,伊邪那美〘いざなみ〙命が黄泉醜女〘よもつしこめ〙をつかわして伊邪那岐〘いざなき〙命を追わしめたときに伊邪那岐が〈右の御美豆良〘みみずら〙に刺せる湯津津間櫛〘ゆつつまぐし〙を引き闕〘か〙きて投げ棄てたまへば乃ち笋〘たかむな〙生〘な〙りき〉とある。

笋は竹芽菜〘たかめな〙の義。投げた櫛がたけのこになったというのだから,櫛は竹製だったのであろう。

そして,〈斎〘ゆ〙つ爪櫛〘つまぐし〙〉というのだから,これはたんなる装飾具ではなくて鬼神や邪霊を避け退けるための呪具〘じゆぐ〙だったのであろう。

しかし,そんなに霊験を発揮する呪具だとすると,この竹製品が簡単に古代人のだれしもの手に入ったとは考えられない。

祭祀遺跡から出土される宝石や宝剣がだれしもの手に入ったと考えられぬのと同様である。


竹が呪具=祭器に用いられた例証は《万葉集》にもみえている。

巻三の〈大伴坂上郎女,神を祭る歌〉に〈ひさかたの天の原より 生〘あ〙れ来る神の命〘みこと〙 奥山の賢木〘さかき〙の枝に 白香〘しらか〙つけ木綿〘ゆう〙とりつけて 斎瓮〘いわいべ〙を斎ひほりすゑ 竹玉〘たかだま〙を繁〘しじ〙に貫〘ぬ〙き垂り 鹿猪〘しし〙じもの膝折り伏せて 手弱女〘たわやめ〙の襲衣〘おすい〙取り懸け かくだにもわれは祈〘こ〙ひなむ 君に逢はじかも〉とある。

ここに歌われている〈竹玉〉は,竹を短く切ってひもで貫いたもの,もしくは,玉籠の類であったろうが,いずれにしても,そこに神霊が宿ると信じられた。

当然,竹は貴重品でなければならないし,これを所有しうる人といったら,ごく一部の特権階級のみに限られてくるのもやむをえなかった。


《万葉集》には,竹に関する歌が,長歌,短歌合わせて20首ほどみえる。

ところが,純然たる植物としての竹を詠んだ歌は,このうちわずかに4首しかない。

残りの歌は,直接的に竹を詠んだのではなくして,比喩として用いられたり,枕詞として使われたり,それを材料にして作られた呪具=祭具である〈竹玉〉〈竹珠〉について歌われたりしたものばかりである。

これらは,明らかに,自然界の一部として存在する竹を諷詠〘ふうえい〙したものではなく,律令宮廷社会に関係をもった人物および事がらを表象するシンボルとしてのみ歌われている。

植物である竹そのものを詠じた短歌も,その3首までは,律令文人官僚貴族によって産みだされた諷詠であった。

すなわち,巻五に載る小監阿氏奥島の1首〈梅の花散らまく惜しみわが苑の竹の林に鶯〘うぐいす〙鳴くも〉と,巻十九にみえる大伴家持の2首〈御苑生〘みそのう〙の竹の林に鶯はしば鳴きにしを雪は降りつつ〉〈わが屋戸のいささ群竹〘むらだけ〙吹く風の音のかそけきこの夕〘ゆうべ〙かも〉である。

これら例歌が〈わが苑の〉〈御苑生の〉〈わが屋戸の〉というふうに〈竹の占有〉を宣言していることが注意される。

長岡京の遺跡から排水溝に使用されたマダケが発見されたが,これも権力者によって占有されていた証拠といえよう。

正倉院御物のなかにある笙,尺八,筆などはハチクで作製されたものであるが,これらが特権階級の占有に属していたことも冗言を要しない。

(後略)

斎藤 正二

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ から引用

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この百科事典には、墨書土器が書かれていたころの古代にあっては、竹は民衆が自由に利用するものではなく、特権階級が使う装身具、道具や楽器、重要工事で使う土木資材などに用いられて、呪具=祭器の性格を帯びていたものもあったことが述べられています。

その当時、竹は貴族支配層が占有・賞美していて、一般民衆の生活と密接に結びつくのは中世になってからのことであると述べられています。

古代における社会と竹との関係をこのように捉えると、上谷遺跡における墨書土器文字「竹」の検討もその知識が無かった時と比べて異なってくることは当然です。


2 発掘調査報告書における「竹」解釈

発掘調査報告書(第5分冊)では「竹」について次のような解釈を行っています。

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多数みられる「竹野」は一文字の「竹」と同じく地名をさすと思われる。

「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第5分冊-」(2005、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

参考 上谷遺跡の墨書土器「竹」、「竹野」の例

千葉県墨書土器データベース(明治大学)から引用
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古代社会の竹の意義を学習したので、発掘調査報告書が一言で処理する、「竹」と「竹野」は地名であるという見解には到底満足できません。

「竹」、「竹野」は貴族や支配層が占有する貴重産物である竹の栽培とか、竹製品の作成などに関わる集団が使った祈願語である可能性を第一に検討したいと思います。

「竹」、「竹野」は林産物としての竹と関わる墨書土器文字であると考えます。

「竹」、「竹野」が竹製品産出と関わるとすれば、付加価値の高い製品が作られていた可能性が高まります。

「寺竹」が出土していますが、上谷遺跡に存在した「寺が占有した竹林」に関わる祈願語として考えることができると思います。

なお、現代に伝わる小字では、この付近に文字「竹」は見当たりません。

3 「竹」出土数が多い遺跡

全国墨書土器データベース(平成10年、明治大学)から「竹」を含む墨書土器が10点以上出土する遺跡を把握して、その分布図を作成してみました。

墨書・刻書土器「竹」10点以上出土遺跡 表

墨書・刻書土器「竹」10点以上出土遺跡 分布図

墨書土器文字「竹」が10点以上出土する遺跡は全国に4つしかなく、最大出土数の遺跡が上谷遺跡になります。

また4つの遺跡が静岡、千葉、宮城と離れて分布していて、その配置にストーリーを重ねることができそうな印象を受けます。

そのストーリーがどのようになるか、それは今後の検討課題としますが、上谷遺跡の「竹」、「竹野」を、単なるローカルな地名由来として捉えてしまうのはあまりにもったいない思考だと思います。

上谷遺跡の「竹」、「竹野」について、律令国家全体を視野に入れた検討、竹が支配階級占有物であり、呪具=祭器の素材として珍重されたという視点からの検討が可能かどうか、今後考察を深めたいと思います。

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