2016年12月2日金曜日

地形学習 6年間のふりかえり

6年間の趣味活動(ブログ活動)のふりかえりを行っています。

2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり」参照

この記事では地形学習をふりかえります。

6年間の主な学習テーマ(対象)を時間順にならべてみました。

だいたいですが、表の上が学習後半、下が学習前半です。

地形学習の主なテーマ

地形学習のフィールドイメージ

花見川を本格的に散歩し出して、すぐに河川争奪地形の存在に気が付きました。

その河川争奪地形検討がブログ「花見川流域を歩く」の最初のテーマです。

花見川に河川争奪地形を発見しましたが、その特異な地形があるために、その場所が縄文時代交通路となり、古代東海道水運支路が建設され、近世印旛沼堀割普請が行われ、現代は印旛沼放水路として利用されているのです。

花見川がそこまで重要性のある河川であるとは、最初は全く知りませんでした。

花見川河川争奪地形は利根川水系と東京湾水系を結節する重要ポイントであるとともに、同時に台地を区分する(裂く)線形でもあります。

近世の牧や近代の陸軍演習場が花見川を境に区分してつくられました。

また、敗戦濃厚になった時代には花見川西岸にトーチカが建設され、九十九里に上陸して東京に迫る米軍を阻止する防衛線を花見川が担っていたようです。

花見川河川争奪地形の理解は下総台地で展開した歴史理解に必須となる基礎知識です。

なお、花見川河川争奪地形をふくめて、下総台地の地形は褶曲変動の影響で形成されています。

褶曲変動地形として、台地成立直後に形成された浅い谷が化石谷として沢山残っていてますので、その形成プロセスなども学習してきました。

浅い谷の地形学習は考古歴史学習に大いに役立っています。

旧石器時代、縄文時代の人々は台地上の浅い谷を水場として利用していました。

浅い谷に水が溜まり、湖沼となった場所である長沼の縁には縄文時代の遺跡があり、戦後まで灌漑用水源として利用されていました。

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参考までに2014.05.082記事「花見川河川争奪のまとめ」の内容を紹介します。

1 花見川筋の自然地形復元

花見川筋は江戸期印旛沼堀割普請及び戦後印旛沼開発で自然地形と水系が大幅に改変されました。
従って、開発前自然地形と水系を復元認識することが花見川河川争奪を考察するための必須前提条件です。

開発前自然地形と水系は古地図(小金牧野絵図、17世紀中葉作)及び現地調査から次のように復元できます。

図-1 東京湾水系と印旛沼水系の分水界

図-2 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界

2 花見川河川争奪のまとめ

花見川河川争奪の検討結果を次の表と図にまとめました。

表-1 花見川河川争奪のまとめ

図-3 一般的河川争奪原理と花見川河川争奪原理の差異

表-2 新たな河川争奪タイプ(様式)の分類
静的河川争奪は鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院、2008)による。

図-4 花見川河川争奪の成因 2つの水系のV字谷の地理的位置関係

図-5 2つの水系のV字谷(頭方侵蝕)前線

図-6 花見川河川争奪の地形面モデル

図-7 花見川河川争奪が生起した年代

花見川河川争奪に関する検討はさらに詳しく検証したく、幾つかの具体的課題に取り組みたいと考えています。

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