2017年3月13日月曜日

大膳野南貝塚 陥し穴猟は待伏猟か追込猟か

1 陥し穴猟の3ルート

2017.03.10記事「大膳野南貝塚 陥し穴」で陥し穴の時期を縄文時代早期後半がメインであると推測しました。

同時に長軸方向を指標にして、陥し穴猟の追い詰めルートを3つ設定しました。

陥し穴の長軸方向から推測する動物追い詰めルート

この3つのルートは縄文人が狩で動物を追い詰め陥し穴で捕獲するルートであるとともに、動物本来の周遊ルートにも近似していると考えます。

さて、この考え方は陥し穴を追込猟で使っていたことを前提にしています。

ところが、WEBで情報を収集すると、縄文時代の陥し穴について、一般論としてどちらかというと待伏猟(罠としての静的利用)で利用していたとする考えの方が有力多数であることに気が付きました。

そこで、追い詰めルート検討の途中ですが、大膳野南貝塚における縄文時代早期広範の陥し穴利用の基本が待伏猟であるのか、それとも追込猟であるのか検討してみました。

2 狩猟ゾーンからみた大膳野南貝塚の位置

これまでの検討で縄文時代早期後半の狩猟ゾーンを次のように考えてきています。

狩猟ゾーンと炉穴の位置関係

大膳野南貝塚の位置は、縄文時代早期には動物を仕留める場所(捕獲する場所)であったと考えます。

動物を仕留める(収穫する)ゾーンであったからこそ沢山の陥し穴が動物捕獲装置として設置されたと考えます。

同時にその同じ場所に炉穴があり、狩人がキャンプしているのです。この事実から陥し穴が待伏猟ではなく、追込猟で使われていたことを導くことができます。

3 陥し穴と炉穴の位置関係からみた陥し穴活用法

次の図は陥し穴と炉穴の地形との関係です。

陥し穴と炉穴の地形との関係

地形の違い、つまり台地面、台地斜面境界、斜面それぞれに陥し穴が分布していて、地形の特性に合わせて動物を捕獲していたと考えますが、同時に地形3区分のすべてに炉穴(狩人のキャンプ地)も分布します。

もし、陥し穴が待伏猟として使われていたと考えると、陥し穴を設置したすぐそばに自ら居住することが根本的に矛盾します。

同時に炉穴の位置が動物移動ルートのど真ん中に位置していて、動物がこの付近に移動してこなくなってしまいます。

一方、陥し穴を追込猟で使っていたと考えると、狩が一定期間の限定行為であるという条件の設定が容易になり、陥し穴と炉穴(狩人のキャンプ)が同じ場所に存在できるようになります。

陥し穴を捕獲装置とした季節的追込猟を行い、獲物が十分に溜まったらしばらくその場所でキャンプをはるという生活を想定できます。

この想定を次のように検討しました。

炉穴と狩との関係

狩場とキャンプ地が同じ場所であるという関係は旧石器時代から続いてきたものであると考えています。

縄文時代の陥し穴が待伏猟で使われていたという思考は、おそらく農耕民が余業で行う狩猟を参考にしている思考だと考えます。

縄文時代の狩猟民は狩で生計を立てていたのですから、能動的に獲物を求めていたと考えます。

また、主な狩猟対象がシカであり、集めて追い立てることが比較的容易だと考えられますので、その面からも待伏ではなく追込であったと考えます。

なお、陥し穴が追込猟でつかわれた証拠をもっと積極的に集める必要があると考えます。

追込猟で陥し穴を使うとすれば、陥し穴に併設して動物が陥し穴に落ちざるを得ないような仕掛け(ついたてのようもの、柵)を作ったにちがいありません。

そのような陥し穴に併設する施設の遺構が、もしかすると無数に存在する時期不詳縄文ピットの中に含まれている可能性があるかもしれないと空想しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿