2017年4月10日月曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 黒曜石剥片分布

1 石核と剥片の分布

大膳野南貝塚 前期後葉集落の石核出土数分布は次の通りです。

大膳野南貝塚 前期後葉 石核出土数

黒曜石石核は出土していません。

剥片小計出土数の分布は次の通りです。

大膳野南貝塚 前期後葉集落 剥片小計出土数

剥片小計のほとんどが黒曜石剥片です。

参考 大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器出土数。

黒曜石剥片の出土竪穴住居が浮島式土器竪穴住居であるJ56とJ72に集中します。

土器、石器出土数ともにJ56、J72は特別の多い竪穴住居ですから黒曜石剥片多出の意義について検討することが大切です。

2 考察
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書のまとめで黒曜石剥片類について次の記述がありますので、このテキストについて学習します。
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黒曜石剝片類
黒曜石剝片類はJ56号住とJ72号住にまとまった出土が認められた。
J56号住からは205点の黒曜石剝片類が覆土の上層から中層にかけて集中部をもたずにばらまかれたような状況で検出された。
剝片類の内容としてはチップが主体となり、大形剝片および石核は認められないものである。一方J72号住からは130点の黒曜石剝片類がやはり集中部を持たずに覆土中より検出されている。
剝片類の内容としては5 ㎝以上の大形剝片からチップまで見られるが、やはり石核は認められない。
石器点数としては両住居址とも確認された石器総数の7 割以上を占め、他の住居址と比べると突出した出土点数が認められた。
これらの黒曜石剝片類はその大きさや形状から石器製作に伴う調整剝片の可能性が高いものと考えられる。
両住居址とも剝片石器類の出土点数は比較的多く認められており、特に石鏃がまとまった出土点数を示している。
石鏃の項で述べているようにJ56号住では石鏃27点中の11点、J72号住では石鏃10点中の4 点が黒曜石を用いており、これらの黒曜石剝片類はこの石鏃製作に伴って残された可能性が高いものと考えられる。
このことからはJ72号住の大形剝片はその素材としての搬入品の可能性が考えられ、J56号住のチップ主体の状況からは素材を使い切った状況も推測されてこよう。
また、石鏃以外の剝片石器ではほとんど黒曜石が用いられていないことからもこれらの黒曜石が石鏃製作のために持ち込まれていたものと考えられ、この2 軒の住居址が石鏃製作工房としての機能ももっていた可能性が高いものと言える。
一方で、J56号住での黒曜石剝片類の出土状況からは石鏃との同時性に不明瞭な点が残されていることも事実であることから、黒曜石の原産地同定も含めて今後も注意していく必要があろう。

千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書Ⅲから引用
赤太字は引用者
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上記テキストをまとめると次のようになります。

黒曜石は狩猟用石鏃作成のために集落に持ち込まれ、J56とJ72で黒曜石石鏃が作製され、その竪穴住居(床面直上~覆土下層)から出土している。
その際に生まれた黒曜石剥片が同じ竪穴住居から出土している。
しかし黒曜石剥片出土位置が覆土上層から中層であるから黒曜石石鏃と同時代にならないのでその関係が不明瞭である。

この関係不明瞭さを自分なりに次のように解釈・想定します。
・狩猟をメイン生業とする浮島式土器竪穴住居家族がJ56とJ72で黒曜石石鏃を作製した。
・その際、生じた黒曜石剥片は大小にかかわらず丁寧に拾い集めておき、石器作製以外の用途(剃刀などとしての利用)に使っていた。
・竪穴住居主人が死亡して、竪穴住居で送り祭祀が営まれた。
・故人や家族が使っていた石器、あるいは近所の竪穴住居に住む同系親族が使っていた石器が土器などとともに故人送りのお供え物として竪穴住居に置かれた。(床面直上、覆土下層から出土)
・竪穴住居における故人送りの祭祀期間が終わり、竪穴住居に人が出入りする必要がなくなった時、故人が集めていた黒曜石剥片を竪穴住居の全面に撒いた。(覆土上層から中層で出土)
・黒曜石剥片を祭祀後竪穴住居に撒くことによって、人が不要に入るとケガをする意味を持たせ、竪穴住居を無人の神聖な場(送りの場)にすることを集落社会が担保した。

J56竪穴住居からは人骨(踵骨)が出土していますから、廃絶竪穴住居は墓と同じ機能を有していたか、殯の場として墓に準じる機能を有していたと考えます。



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