2017年4月3日月曜日

大膳野南貝塚 縄文時代竪穴住居から遺物が出土する意味仮説

大膳野南貝塚 縄文時代前期後葉集落の竪穴住居から出土する土器量等についてデータを整理してみました。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 土器出土量等

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 土器出土量等

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 土器・石器出土量 中テン箱数

土器出土量が大変多い竪穴住居(J56)が1軒、中テン箱1/4~4箱出土する竪穴住居が11軒、ほとんど出土しない竪穴住居が4軒あります。

土器で完形に復元できるものは無いようです。
また器形復元可能土器数は土器数が増えても一定の値になっています。器形復元可能といっても破壊がかなり進んだものです。
これらの様子から、竪穴住居から出る土器は既に破壊が進み実用にならない物がさらに打ち壊されて堆積した様子が判ります。

土器片は他の土製品・石器・獣骨等と一緒にほとんど全て覆土下層~床面直上から出土しています。

土器等出土の様子(J56)
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

土器等出土の様子(J56)
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

土器等出土の様子(J56)
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J56住居
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
A断面の13層、B断面の20層から土器等が出土

これらの土器出土の様子から土器及び他の遺物が出土する意味仮説を次のように設定しました。

縄文時代前期後葉竪穴住居から遺物が出土する意味に関する仮説

竪穴住居から出土する遺物は全て、竪穴住居主人が死亡してその竪穴住居が廃絶する時の殯(もがり)祭祀に由来すると考えます。

土器片が現代人からみるとゴミ(廃棄物)のように見えるかもしれませんが、送り祭祀用財物であったと考えました。

瀬川拓郎著「アイヌと縄文」(ちくま新書)ではアイヌやアジアにおいて3年の殯が多くみられることが記述されています。この記述を参考に大膳野南貝塚前期後葉集落での殯期間を3年と想定して、その時間内に土器・土製品・石器・獣骨が堆積したと想像します。

竪穴住居という穴から遺物が出土する意味のイメージを自分が持っていないと、学習が進まないので、学習を進めるために作った自分専用の仮説です。

大膳野南貝塚発掘調査報告書には前期後葉集落に関して遺物出土の意味説明は残念ながらありません。




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