2017年4月5日水曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 土製品

大膳野南貝塚縄文時代前期後葉集落の竪穴住居から出土した土製品を見てみました。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 土製品

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 土製品

大膳野南貝塚 前期後葉 土製品出土竪穴住居

2つの竪穴住居から合計5点の土製品が出土しています。

J56竪穴住居からミニチュア土器2点、脚付土器底部1点、玦状耳飾1点が出土しています。

J56竪穴住居は土器、獣骨が多量に出土し、人骨も出土していて前期後葉の最も注目すべき竪穴住居です。

この竪穴住居から祭祀に使われたと考えられるミニチュア土器、脚付土器と装身具である玦状耳飾が出土したことはこの竪穴住居の性格を考える上で重要な情報を提供していると考えます。

それらの出土物が竪穴住居の住人が使っていたものであるか、それとも竪穴住居廃絶後の祭祀で持ち込まれたものであるのか、完全断定できる情報はありません。

しかし多量の獣骨、多量の土器が住居廃絶後の祭祀で持ち込まれてたものと考えますので、同じように持ち込まれたものと考えます。

竪穴住居廃絶時の故人送り祭祀で、一般的な祭祀用具(ミニチュア土器、脚付土器)が送り用に破壊され納められたと考えると、送られた故人の属性が祭祀一般に関わるような人物であったと考えることが妥当です。

つまり、J56竪穴住居の主人で死亡した人物は集落内で祭祀を司っていた人物であると考えることができます。

祭祀を司っていた人物が死亡して送る(慰霊する)必要があるので、それにふさわしくするために祭祀道具を壊して、その場に置いたと考えます。

装身具である玦状耳飾りが出土したことも同様に考えます。

つまり故人が装身具をつけるにふさわしい身分や属性(リーダー性など)を持っていたので、その送り(慰霊祭祀)に際してその親族が大事な玦状耳飾を壊してその場に置いたのだと思います。

なお、ミニチュア土器や玦状耳飾を壊して(そのような犠牲を払って)故人を送る(慰霊)することが縄文人思考の原理であると考えますが、実際はほとんどの場合、既に壊れた物品を送りに使ったことが多かったのだと思います。送りは既に十分に形式化していたのだと思います。

土器の破壊も同様に、既に実用世界で欠けてしまった土器を使って、それをさらに破壊して送り行為としたのだと考えます。

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