2017年4月7日金曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器姿

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿を眺めてみて、思い浮かぶ感想をメモします。

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿例1
スケッチは千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書より引用

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿例1
スケッチは千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書より引用

参考 大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器製品種類別出土数

●追い込み猟の主役は弓矢
尖頭器は1つだけしか出土していませんから、狩の主役でなかったと考えてよさそうです。
狩の主役は石鏃であり、弓矢で獲物を捕らえていたことになります。
縄文時代早期の陥し穴から石鏃は全く出土していませんから、縄文時代早期の狩猟は陥し穴と誘導柵による罠猟と弓矢を使う追い込み猟の2つの狩から構成されていたと考えました。
同じく、縄文時代前期後葉集落の行う狩猟も誘導柵付陥し穴による罠猟と、弓矢を使う追い込み猟の2つの狩から構成されていたと考えます。
狩猟の場は集落から見て東の方向で日帰り行動圏(5㎞圏)であったと想像します。

●動物解体や皮なめしの主役スクレイパーなど
スクレイパーは動物の皮剥ぎ、皮のなめしなどに使われたと考えます。
石錐、石匙、クサビ形石器は動物の解体などに使われたと考えます。

●狩関係石器は使われた場所での出土ではないことの確認
これらの狩関係石器は出土した竪穴住居主人が死亡して、故人を送り、竪穴住居を廃絶する時に親族が慰霊のためのお供え物として土器などと一緒に持ち込んだものと考えます。
これらの石器の中に故人が使っていたものも含まれるかもしれませんが、そのような場合でも保管していた状態そのままで出土したのではなく、一旦持ち出され、親族がお供え物として置いたと考えます。

他のすべての石器も土器と同じように送り(慰霊)のお供え物であったと考えます。

●狩猟民であるとともに漁撈民でもあった
軽石製有頭浮子はこの集落住民が狩猟民であるとともに漁撈民でもあったことを物語っています。

●漁撈・植物採取調理関連石器が少ない理由
漁撈・植物採集調理加工関連石器が少ない理由については検討が必要であると考えます。
漁撈については石器の道具がそもそも少なく、石器の少なさが活動の弱さを表しているとは考えられないことを既に検討しました。
2017.04.06記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器組成」参照
もしかしたら、送りに木や竹製の漁撈道具を沢山お供え物として使っていたかもしれません。
植物採集調理加工関連石器が少ないことは、後の時代(中~後期)と比べて堅果等の植物食が盛んでなかったを、その程度は別にして、表していると考えます。

しかし、狩猟民としての心性が強く、故人の送り(慰霊)のお供え物として植物採集調理加工関連石器が選ばれることが少なかったというえり好みが表現されているかもしれません。
廃絶竪穴住居の覆土という祭祀跡から出土する石器組成は、その当時社会の石器組成とは異なるかもしれません。


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