2017年5月13日土曜日

西根遺跡 縄文時代水中土器送りは平安時代まで続く

西根遺跡で縄文時代土器送りが陸域だけでなく、水域(水中)でも行われたことを既に述べました。
2017.05.11記事「西根遺跡 土器集中域詳細把握と問題意識」参照

また水域(水中)の土器送り場(土器集中地点)の分布図を作成して検討しました。
2017.05.12記事「西根遺跡 土器集中域の分類(試案)」参照

この縄文時代水域(水中)土器送りの習俗が平安時代まで受け継がれていたことが発掘調査報告書で判明していますので、メモしておきます。

次の図は西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴図です。

西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴

奈良時代後半~平安時代においても盛んに戸神川水面に土器(多くは墨書土器)が置かれて(投げ込まれて)います。

縄文時代後期の土器集中域と同じように生活のなかで実際に使われた実用土器がほとんどで、同時に生活改善祈願の道具と推定される墨書土器が過半以上でもあります。

縄文時代後期の水中土器送りと奈良・平安時代の水中土器投げ込みが全く同じ趣旨であるかどうかという点は大いに検討の余地があると思います。
しかし、縄文時代後期の習俗が奈良・平安時代まで戸神川という同じ舞台で延々と引き継がれてきたことが推察できます。

縄文時代後期の土器送りでの祈願内容は例えば「集落の権威を高める翡翠の入手」といった社会的なものであり、奈良・平安時代の水中土器投げ込みでの祈願内容は「自分や家族の健康や生活向上」といった私的なものであるという違いはありうると考えます。
社会的なものと私的なものという違いはありますが、個々人の切実な祈願であるという点では同じであったと思います。

祈願内容は時間が流れるなかで、いろいろなものに変化するけれども、水中に土器を置いて祈願するという行為(習俗)は連綿と伝わったと考えます。

西根遺跡の中近世流路では銭貨が沢山出土しています。

西根遺跡中近世流路から出土した銭貨

平安時代まで続いた水中土器送り(土器投げ込み)習俗は中近世になると戸神川への銭貨投げ込みに形を変えたものと考えます。

戸神川は縄文時代から中近世まで水際祭祀の場として継続していたのです。


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