2017年6月21日水曜日

大膳野南貝塚 後期集落学習 その1

大膳野南貝塚の縄文時代中期末葉~後期の集落の様子を発掘調査報告書のまとめ記述を引用しながら学習します。

発掘調査報告書からの引用は赤字で示します。

1 集落、貝塚の概要
「本時期に属する遺構は、竪穴住居址93軒、土坑264基、土坑墓1 基、屋外漆喰炉8 基、小児土器棺6 基、単独埋甕12基、埋葬犬2 体、鹿頭骨列1 ヵ所などである。また、検出された人骨は30体(廃屋墓20体、土坑墓1 体、小児土器棺6 体、単独出土3 体)を数える。出土した遺物は土器、土製品、石器、骨角器、貝製品、人骨、獣骨、貝類などで、総量は中テン箱で約720箱を数える。発見された遺構の時期は加曽利E4 式期から加曽利B2 式期にわたるが、最盛期は後期前葉堀之内1 式期である。」

「貝層は大きく3 ヵ所(北・南・西貝層)が検出された。貝塚の形態については、古墳時代以降の土地改変の影響等により貝層の空白域もみられるが、大略環状を呈するものと推定される。環状貝塚とした場合の規模は、南貝層東端部-西貝層のラインで直径80m前後を測る。北・南・西貝層を除去した後には大小約160ヵ所の貝層ブロックが確認され、このうち遺構に伴う貝層(地点貝塚)は78ヵ所(住居内26ヵ所、土坑内52ヵ所)を数える。貝層の様相は混貝土~混土貝層が大半で、純貝層は一部の遺構内貝層に散見されるのみで
ある。貝種組成は内湾砂底群集を主体とし、とくにイボキサゴとハマグリが卓越し、シオフキ・アサリ等が一定量含まれる。この組成は千葉県内における東京湾沿岸域の中~後期貝塚と共通するものである。貝層の形成時期については、称名寺式期から堀之内2 式期と推定され、前述した集落形成期間より若干短いものと考えられる。貝層形成の最盛期は、集落と同様に堀之内1 式期である。」

2 加曽利E4~称名寺古式期
「本時期に属する主な遺構は住居5 軒、土坑5 基、単独埋甕1 基などである。貝層を伴う遺構は土坑1 基(247号土坑)のみで、その他の遺構では貝層は検出されておらず、積極的な採貝活動の痕跡は確認できない。埋葬関連の遺構としては廃屋墓が1 軒検出された。J88号住の床面直上より集骨と推定される壮年期男性骨1 体が出土している。」

加曽利E4~称名寺古式期

3 称名寺~堀之内1 古式期
「本時期は大膳野南貝塚を特徴づける現象ともいうべき「漆喰」の使用が行われ始める時期である。本時期に属する主な遺構は住居5 軒、土坑17基などである。漆喰の使用については、全ての住居の炉址で漆喰堆積が確認されており、さらにJ34・77・104号住の
3 軒では顕著な白色を呈する漆喰貼床が検出された。また、J34・104号住では廃屋儀礼と推定される環状の焼土堆積が検出された。
 貝層を伴う遺構は、住居4 軒、貝土坑5 基が検出された。また、北・南・西の各貝層からの出土土器は、本時期より増加傾向がみられる。各貝層の土器包含状況と遺構内貝層の検出状況、前述した漆喰使用状況などから、本格的な採貝活動および貝殻利用は本時期より開始されたものと推定される。
 埋葬関連の遺構としては、J77号住より床下墓坑が検出された。墓坑内からは土製垂飾を伴う3 歳前後の小児骨が出土している。」

称名寺~堀之内1 古式期集落

4 称名寺~堀之内1 古式期のメモ・考察
4-1 祭祀が行われた廃絶竪穴住居が貝塚の核となる
この時期に採貝活動が活発化し、竪穴住居跡では廃屋儀礼があるということと、全ての竪穴住居が貝層の下に位置するということから、この時期の竪穴住居家族が大膳野南貝塚集落の創始家族として後の世代に崇拝された可能性を感じます。
この時期の世代は恐らく他所より移住してきた、漁業活動技術を有する集団であったと想像します。
この時期の竪穴住居廃絶祭祀で形成された貝等の堆積域がその後の集落の「送り場」となり、貝層拡大(貝塚形成)の核となったと想定します。

4-2 大膳野南貝塚を創始した2大家系
北貝層と南貝層にそれぞれ対応する竪穴住居が2軒、3軒あることから、貝層は2カ所でそれぞれ独自に発展していて、2つの家系に対応していると考えます。
遺物を詳しく分析して、北貝層と南貝層に対応する2つの家系が抽出できるか、今後の学習が楽しみです。

4-3 土坑集中場所が前期集落と類似
土坑集中場所が竪穴住居から離れた台地西側に多く、前期集落と似ています。
前期集落と同じように堅果類の良好な保存環境を確保するために、竪穴住居から土坑を離したと考えます。
2017.04.19記事「土坑集中の意味」参照

4-4 後期の中で竪穴住居1軒あたり土坑数が大きい
時期が判明した土坑だけを対象とすると、後期の中でこの時期の竪穴住居1軒あたり土坑数が最も大きくなっています。

後期 竪穴住居1軒あたり土坑数 (時期が判明したものだけを対象とする)
加曽利E4~称名寺古式期 1.0
称名寺~堀之内1 古式期  3.4
堀之内1 式期       1.3
堀之内2 式期       1.1
堀之内2 ~加曽利B1式期 2.0

貝塚を形成した称名寺~堀之内1 古式期、堀之内1 式期、堀之内2 式期のうち、称名寺~堀之内1 古式期の竪穴住居1軒あたり土坑数の値が大きいのはまだ海産物を堅果類に交換する取引交易システムが不十分であり、堅果類の備蓄を積極的に行うことが集落運営上必要であったからだと考えます。
堀之内1 式期、堀之内2 式期では海産物を堅果類にいつでも交換できる地域取引交易システムが整備されていたと考えます。堅果類の備蓄を自ら積極的に行う必要はなく、漁業活動に専念できたのだと考えます。

つづく

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