2017年7月17日月曜日

参考 人形・馬形 西根遺跡奈良時代出土物

縄文時代西根遺跡とは直接関係がありませんが、西根遺跡奈良平安時代流路5から出土した人形・馬形現物を閲覧しましたので、過去の検討をふりかえりました。

1 人形・馬形の閲覧

人形
千葉県教育委員会所蔵

人形
千葉県教育委員会所蔵

薄く削って顔の輪郭をつくり、そこに墨で顔を書いていることを観察できました。

馬形
千葉県教育委員会所蔵

馬形
千葉県教育委員会所蔵

参考 発掘調査報告書のスケッチ

参考 人形・馬形の出土状況
発掘調査報告書から引用

人形・馬形が重なって出土していて、人形・馬形を一緒に戸神川に流したことが明らかです。

2 人形・馬形に関するこれまでの考察
人形・馬形は船尾白幡遺跡で盛んであった養蚕に関係する祭祀で流されたと考えています。

中国の《捜神記》に由来するとされるつぎの、馬と娘との婚姻譚が人々に知られていたことが背景にあると考えます。

家に残された娘が,他郷に住む父を連れ帰れば妻になると家に飼う雄の馬に頼む。
馬は父を連れ戻ったが,娘と父は約束を守らず,馬を殺してその皮をはぐ。
馬の皮は娘を巻きこんで飛び去る。
数日して馬の皮と娘はクワの大木にとまってカイコに化し,巨大な繭が採れたという。

東北日本のオシラサマが蚕神であり,クワの木で男女あるいは馬の顔をつけた棒をつくることとおなじ風習が船尾白幡遺跡にあったと考えます。

人形・馬形と船尾白幡遺跡との位置関係

船尾白幡遺跡における養蚕関連墨書土器
コ(子、小)は蚕のこと。

なお白幡という小字は奈良時代養蚕に由来すると考えることができます。

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