2017年8月27日日曜日

土器破壊の意味…収穫祭 土器塚学習6

図書「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)の「土器塚」の項の学習の一環として文献「阿部芳郎(2002):遺跡群と生業活動からみた縄文後期の地域社会、縄文社会を探る(学生社)」を学習しました。

1 粗製土器はアク抜きなどの食料加工道具
その中で粗製土器は食料加工の道具であることを学びました。
2017.08.25記事「低地水場の堅果類加工場 土器塚学習5」参照

これまで粗製土器で煮炊きをしていたことは漠然と知っていましたが、この図書で粗製土器が「下ごしらえ用」の土器であることに意識が向き、著者が編集している図書「考古学の挑戦」(岩波ジュニア新書)や「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県)などの関連する部分を読んでみました。

考古学の挑戦(岩波ジュニア新書)

これらの図書を読んで加曽利B式土器が集落人口を養う主食を賄うための堅果類アク抜き装置であることを知りました。
トチの実をはじめ各種ドングリをそれぞれの方法でアクを抜くときの重要なステップにおける煮沸用容器が加曽利B式土器です。
「秋に一斉に実を落とす堅果類を一度に加工して、大量にアク抜きなどの下ごしらえを行なうという集約的な食料加工」(阿部芳郎、縄文社会を探る)で使われたのが加曽利B式土器で、そのうちおおきなものは70リットルにもなります。

西根遺跡出土大型粗製加曽利B式土器(容量69.7リットル)千葉県教育委員会所蔵
・第4集中地点
・壺A3
・口径35.7㎝、底径8.8㎝、器高74.1㎝、重量12.2㎏、容量69.7l
・残存度90%
・被熱、底面外面下端が摩滅

2 粗製土器破壊の意味…収穫祭
1の学習をしていて、突然自分の思考が変化しました。得た各種知識を自分なりに統合した瞬間があったということです。
思考の変化は一挙に全体的に生まれたのですが、それを文章にすると長くなるでしょうから、箇条書きにして記録します。

・粗製土器を使ってトチの実など堅果類をアク抜きして食料をつくることは、それで主食を生み出すのだから、縄文人が生きてゆきさらに繁栄するためには最重要活動であった。
・トチの実などの収穫はやさしいことであったが、アク抜き技術は当時のハイテク技術であり、専門的活動であった。
・アク抜き技術というハイテク技術(ソフト技術)は粗製土器づくり(ハード技術)と結びついた専門的な技術であった。
・収穫した多量のトチの実などのアク抜きによる食糧化は労働集約的であり、一族郎党が集団で取り組んだ。(狭い意味での集落を越えて広域的な労働作業だった。)
・アク抜き技術(ソフトと土器づくり)と一時的労働集約活動を担ったのは一族郎党のリーダー(頭領)であった。主要集落のリーダーがそれに該当する。
・夏から秋にかけて多量のトチの実などを収穫し、粗製土器をつかって新実によるおいしい食糧を食べられるようになった段階で、縄文人は収穫祭を行った。
・収穫祭では壊れた粗製土器にそれまでの効用を感謝してそれを破壊し土器の精霊を解放した(土器を送った)。
・破壊した土器は祭場近くに積み上げた。(土器塚)
・収穫祭ではご馳走の獣肉などもふるまわれた。(獣骨出土…西根遺跡)
・収穫祭会場や土器塚には祭壇(イナウ)が設けられていた。(イナウ出土…西根遺跡)
・収穫祭は一族郎党リーダーが取り仕切り、一族郎党が参加した。(主要集落で収穫祭が行われ、周辺集落からも参加した)

このように考えると土器塚や西根遺跡の土器集中の意味を自分なりに合理的に捉えることができます。
土器塚や西根遺跡土器集中は収穫祭の跡であったという思考です。
粗製土器が食糧増産ハイテク技術の一環であることから特別視され、壊れたものは丁寧に破壊された(送られた)という思考です。

土器塚や西根遺跡土器集中における破壊された土器片現物の背後には、それに代わる既に稼働している新品粗製土器の存在を見る(透視する)ことができます。新品粗製土器で多量のトチの実などをアク抜きして食料増産している集落の姿も見る(透視する)ことができます。

破壊された土器片の大量出土が主食確保収穫祭の跡であると考えると、土器塚の解釈は土器塚が集落にあるのでそれで出来そうです。
一方、西根遺跡では集落から離れているのでその解釈は単純ではありません。
西根遺跡ではこれまでミナト廃絶祭祀、翡翠入手と関連付けて考えてきていますが、土器破壊が収穫祭-ミナト廃絶-翡翠入手というストーリーになるか、じっくり検討します。

土器塚はローカルな収穫祭跡、西根遺跡は印旛浦広域の収穫祭跡という収穫祭の階層性も検討視野に入ります。


0 件のコメント:

コメントを投稿