2017年10月18日水曜日

鳴神山遺跡 牧と武士集団、輸送集団との強い関係

白幡前遺跡では牧と武士集団、輸送集団との関係が密接であることが判りました。
2017.10.16記事「白幡前遺跡における牧と武士集団、輸送集団の関係」参照
鳴神山遺跡でも同じことが言えますので記述します。

1 墨書文字「大」集団、「大加」集団について
墨書文字「大」(オオ)集団と「大加」(オオカ)集団は集落の北側に竪穴住居をかまえ、牧の現業に関わる集団であると考えています。
「大」は下総各地に同族を持つ氏族的集団であると考えています。「大加」は「大」に加勢するという意味であり、新たに「大」一族に従った寄せ集め外人部隊であると想像しています。
なお、例えば墨書「依」(キヌ…養蚕)集団は集落の南側に竪穴住居をかまえ、牧現業集団の生活を支えるサポート集団であり、養蚕、漆、食料生産などに関わっていたと考えています。たとえば養蚕に使う掘立柱建物や製糸に使う紡錘車の出土は集落南側に集中しています。

墨書文字「大」の分布

墨書文字「大加」の分布

参考 墨書文字「依」の分布

2 墨書文字「大」「大加」出土と武器出土の関係
集落が最盛期を迎えた9世紀第2四半期でみると「大」出土と鉄鏃出土が強く相関するとともに、「大加」と「弓」が同じ土器に書かれます。「弓」は武装勢力であることを直接示します。
なお「大加」出土竪穴住居から刀子は出土しますが、鉄鏃の出土はなく、外人部隊である「大加」集団(武装集団)が外敵と戦うための武器(鉄鏃)は日常的には所持していないことがわかり、親集団の「大」と雇われ集団の「大加」の関係が見えて興味が増します。

9世紀第2四半期の「大」「大加」

9世紀第2四半期の「大」「大加」 説明

鉄鏃の集中出土と「大」出土が強く相関し、「大」集団の武装化が進んだ様子が次の図でわかります。

9世紀第2四半期の鉄鏃と「大」出土

9世紀第2四半期の鉄鏃と「大」出土 説明

牧の現業を担う集団の武装化がすすみ、武士集団となっていく様子がよくわかるデータとなっています。

牧集団が武士集団になっていく理由の最大のものは、牧集団が単純に馬生産に特化してたわけではなく、9世紀になると生産した馬を使って運送業を行い、街道での盗賊から身を守ることが必要であったからであると考えます。
なお、墨書文字「久弥良」(クビラ…金毘羅)集団は関西から鳴神山遺跡に来た輸送専門集団であると想像しています。
武装化は牧や集落を盗賊から守るための自衛でもあったと考えます。

しかし、9世紀末頃の制度的混乱で無政府状態が生まれ、俘囚の反乱や群盗の蜂起が相次ぎ、牧が盗賊に襲われる機会が増し、逆に武装した牧集団が盗賊にもなり、下総の牧は一気に凋落したと考えます。
武装した牧集団がその後の専業武士集団誕生の母体の一つになったと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿