2017年10月22日日曜日

大結仮説 鳴神山遺跡が大結馬牧であるとする新仮説

1 大結仮説 鳴神山遺跡が大結馬牧であるとする新仮説
鳴神山遺跡が大結馬牧であると薄々直観してきましたが、それがどのような仮説になるのか不明でした。
しかし、下総国府の建設、東海道の建設(駅路、駅家建設)、東海道を軸とした域内幹線交通路の建設、官牧の建設が同一プロジェクトとして構想、計画、実施されたことに気が付く(理解する)と、鳴神山遺跡が大結馬牧であるという仮説が脳裏に焼き付き他の仮説をことごとく駆逐しました。

大結仮説 鳴神山遺跡が大結馬牧であるとする新仮説

大結(オオユイ)とは下総国府(東京湾岸)と香取の海のミナトを結ぶ陸上道路の名称であると仮説します。
大結(オオユイ)は読んで字のごとく二つの海を結ぶ大連絡を表現している具体地域開発用語(その当時の造語)として捉えました。
大結道路は東海道を補完する補助幹線道路(域内幹線道路)の機能を有する道路であると考えます。
この道路建設と連動する新規官牧開発が鳴神山遺跡のある印西台地であり、その名称が道路名称を使って大結馬牧となったと考えました。
鳴神山遺跡で出土した直線道路が大結道路そのものであると考えます。
その道路の下総国府付近延長部が下総国府関連遺跡や新山遺跡で出土した道路であると考えます。

参考 鳴神山遺跡出土道路
発掘調査報告書から引用


参考 新山遺跡出土道路
「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」(千葉県発行)から引用

このような関連インフラ名称が官牧名称になった例として高津馬牧があります。
東海道水運支路(仮説)において船越の平戸川側に高津(印旛浦の最高位にあるミナト)が建設され、その高津のそばに新規建設された官牧の名称が高津馬牧となりました。
高津も具体地域開発用語(その当時の造語)です。
なお、船越には地形を無視した直線道路整備が後世の馬防土手遺構として伝わっていて、道路建設作風が7世紀末から8世紀初頭頃のものであることを表現しています。
仮説東海道水運支路、船越については2014.11.21記事「〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討について」などブログ記事が多数あります。
2015.01.10房総古代道研究会発表資料も公開しています。
忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-

2 これまでの大結馬牧比定地仮説とその難点
2-1 船橋付近説 大結の読み「オオヒ」
邨岡良弼「日本地理志料」、吉田東伍「大日本地名辞書」では大結をオオヒと読み、意富比(オオヒ)神社と関連付けて、大結馬牧を船橋付近としています。
大結をオオヒと読む根拠がありません。共通する音「オオ」を使って強引に二つの言葉を結びつけた「語呂合わせ」が思考の根底にあります。
後世にその場所が夏見御厨という開発地であったので、その前身が牧であると考えています。
しかし「語呂合わせ」が無意味であるとすれば、後世の開発地の存在だけからその場所を大結馬牧であると特定することは困難です。

2-2 船橋付近説 大結の読み「オオユイ」
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)では大結をオオユイと読みますが、意富比(オオヒ)神社と関連付けて船橋付近としています。

「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)の大結馬牧説明

オオユイ馬牧とオオヒ神社の音の違いの説明をしていないにも関わらずその間に関連があることを前提にしています。
後世にその場所が夏見御厨という開発地であったので、その前身が牧であると考えています。また近隣の遺跡から馬の出土があったことを念頭においています。

強引な語呂合わせをしていないだけであって、オオユイとオオヒが関連することの説得的説明が出来ない点で2-1と同じです。後世に開発地になり、古代遺跡からは馬骨が出土したからという理由だけでそこが大結馬牧であると特定することは困難です。

2-3 茨城県水海道市から石下町付近説
大結をオオヒと読み、地名大生郷(オオウゴウ)、古間木(古牧)、大間木(大牧)と関連付けて大結馬牧を茨城県水海道市大生郷町から石下町古間木一帯とする説があります。
大結をオオヒと読む根拠がありません。また仮にオオヒと読んだとして、なぜオオヒなのかその説明はありません。
オオという音がオオヒとオオウゴウで一致するという語呂合わせになっています。
語呂合わせを除くと残る情報は牧存在を示す地名です。牧関連地名は下総の至るところにありますから、これをもって大結馬牧の特定はできません。

3 余談 新仮説誕生の舞台裏
大結馬牧、意富比神社、鳴神山遺跡出土メイン墨書文字「大」の3者に関連があるに違いないと4日間ほど寝ても覚めても検討しました。図書館で古い情報を調べたりもしました。
何度か「新仮説」が生まれ、消えました。
・オオヒ神社はオオユイ神社の転であり、オオユイ馬牧と関連付けることができる?
・オオヒ神社は多氏の神社で墨書文字「大」は多氏と関連する?

アーダ、コーダと考えて、到達した結論は大結馬牧、意富比神社、鳴神山遺跡出土メイン墨書文字「大」の3者に関連が全く無いということです。
3者の関連を断ち切ると3者の意味が脳裏に鮮明に浮かび上がりました。
大結馬牧の意味はこの記事で書いた通りです。
墨書文字「大」の意味は大神ということで、「大加」「天(則天文字)」(船尾白幡遺跡メイン文字)などの意味も関連して解釈を深めることができました。別記事で書きます。
意富比神社の名称意味は「日本の神々 神社と聖地 11関東」(谷川健一編、白水社)における意富比神社と大井神社(常陸)の説明が参考になりました。別記事で紹介します。

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